多賀町の多賀(たが)大社の節分祭の概要を知りたい。
『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「二月三日」で、概要は「節分祭そのものは古くから行われているが、現在のような多くの年男達が豆撒きを奉仕するようになったのは昭和三十年代のことである。当日は本殿祭の後、各市町を代表する三百五十名の年男が特設舞台から福餅・福豆を撤き、邪気を追い払う。」とあります。
View Article多賀町の多賀(たが)大社の翁始式(おきなはじめしき)の概要を知りたい。
『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「一月三日」で、概要は「江戸時代の「年中行事」をみると、いずれも神能始めとある。めでたい正月に因んで翁の黒式面を付けて舞い納められる。現在は大蔵流狂言方家元茂山社中が奉仕している。」とあります。
View Article旧五個荘町(現、東近江市)の大城(おおぎ)神社の奉納相撲の概要を知りたい。
『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「九月十五日午後一時から四時頃まで」で、概要は「起源は定かでないが、現在は秋祭に執り行っている。戦前は近隣の郡部からも多数の飛び入り参加者もあって、盛大に勝負を争った。戦後は、氏子の青年が主となって、相撲がとりくまれる。なかでも最近は、小学生を中心とした子供相撲が奉納されて、非常に賑わいを呈している。」とあります。
View Article旧永源寺町(現、東近江市)の大皇器地祖(おおきみきじそ)神社の御供盛(ごくも)りの概要を知りたい。
『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「一月三日・九月九日」で、概要は「氏子の若衆ら十一名が神饌を調理し、神前に供える儀式。年二回行われ、なますえ神事ともいう、当日は早朝から御供蒸し(五升)が社務所で始められ、潔斎をした若衆は素襖を着て調理にかかる。御神酒注ぎ→むすび(御供を円錐形状に仕立てる)→下まな(するめ・かます等を刻む)→上まな(大根・昆布等を刻む)→まなすえ(鮒鮨と俎板を据える)→本まな(鮒...
View Article近江八幡市の馬渕町岩倉団地地先の山の神祭りの概要を知りたい。
『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「一月五日」で、概要は「早朝、御神酒と人型をあらわす木の枝を馬渕町二一六番地地先旧馬場の大岩が突出している所に供える。その行事は卍大人の者が奉仕する。そして前年一番早く生まれた大門の年行事の者が参拝する。後刻、御神酒で直会が行われる。」とあります。
View Article栗東市御園の太鼓踊りの概要を知りたい。
『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「不定期」で、概要は「上山依(かざまわり)太鼓踊りとも称するが、由来については定かでない。昔から社寺の境内や農家の庭先で行われ、一晩中踊りあかしたという。踊りには、場締め踊り・お蔭踊り・屋形踊り・鐘巻踊り・追善踊り・順礼踊り・拾七踊り・恋の踊り・山伏踊り・宮山踊り・大宮踊り・いくさ踊り・小陣役踊りなどがある。役割はシンポチ一人・太鼓(踊り手、二人一組)十人・唄い手...
View Article旧甲南町(現、甲賀市)の日枝(ひえ)神社・稲荷(いなり)神社のおこないの概要を知りたい。
『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「一月十五日」で、概要は「おこないは、一月十五日未明より、天台宗安楽寺の本堂にて、当人によって供えられた籠の前で行われる。籠とは、月の餅・星の餅・花びら餅・さといもなどを串ざしにして飾ったもの。ノットという牛玉宝印を額に捺すしぐさのあと、読経。そして、巨大な注連縄を二組あみ、両社の古木に吊るす。この際、宮守二人がセンダラク、マンダラクと唱えながら、弓うちをする。」...
View Article大津市の三尾(みお)神社末社の日御前(ひのごぜん)神社の朝瓜(あさうり)祭りの概要を知りたい。
『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「七月二十二・二十三日午後七時から九時まで」で、概要は「日御前神社の例祭。天武天皇の子大津皇子の第三の姫宮瓜生姫の創建で、もと中保町に鎮座のところ、明治四十四年三尾神社境内に遷し末社とした。子供の病気(夜泣き・かんのむし)、安産に霊験あらたかな姫宮信仰の神霊石があり、この神霊石が朝瓜形をしているところから、参拝者は瓜に子供の名前を書いてお供えをする風習ができた。」...
View Article大津市山中町の樹下(じゅげ)神社の御的(おんまと)神事の概要を知りたい。
『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「一月十五日」で、概要は「六人のお弓仲間のなかから二人の弓取り役が選ばれると、弓取り役は当日にむけて弓射のけいこに励むと共に、精進潔斎の生活にはいる。当日は朝から射場の設営がされ、的から三十メートル離れた所に射座が据えられる。弓取り役は、黒の紋付に裃・白足袋を着け、印籠・大小刀をさす。弓取り儀式は、二人の同時所作に始まり、射法も古式にのっとって行われる。弓身は二人...
View Article旧浅井町(現、長浜市)の北野(きたの)神社・神事組頭人宅の神事の概要を知りたい。
『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「二月十七日から十八日まで」で、概要は「おこない。神事組は四組あり、十七日午前中に神号軸を神社総代から受け、鏡餅を搗く。十八日午前中に四組割が合流し、相揃って社参する。鏡餅・神酒を供え、祈年祭が斎行される。四組代表が玉串を奉奠する。大鐘にて下向。いったん組に帰り、引き続き神号軸と鏡餅一重ねを次の頭受けに送る。頭受けは組衆中鉢物にて祝酒をする。」とあります。
View Article長浜市の足柄(あしがら)神社のおこないの概要を知りたい。
『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「二月五日から八日まで」で、概要は「五日午前、社務所に氏子全員が集まり準備にかかる。七日午後、六斗蒸のコシキを使い餅搗きが行われる。三基(から)の臼で搗くが、搗方二十六名、手返方九名に加え、鉦・拍子木の鳴りものと掛け声が賑やかである。餅は、最後に隣村の今川町にわたされ、氏子の数に切って分けられ、終了する。翌年には今川で餅を搗き、八条へわたす。」とあります。
View Article旧湖東町(現、東近江市)の神明(しんめい)神社の神事行事の概要を知りたい。
『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「二月初亥の日午前一時」で、概要は「二月始の亥の日、午前一時に社殿において、唐門屋根に蒸米のにぎり飯をのせた素焼きの皿を置く。こうして社守の資格を得ると、蒸米・大根の漬物と神酒で祝いを行う。その時、勧という長さ十一メートル・太さ十五センチ程の縄をない、その中ほどに檜の枝葉で輪(六十センチ・太さ十五センチ程)をつくり、御幣を十本余り刺す。」とあります。
View Article旧木之本町(現、長浜市)の佐波加刀(さわかと)神社の寿(じゅ)踊りの概要を知りたい。
『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「八月十八日」で、概要は「踊りは太鼓六人、鉦二人を中心にして、うち四人は青竹に竹の色紙の短冊を背につける。上端には御幣が結びつけてある。白の鉢巻き・白の半袖シャツ・白のステテコ・白足袋・草履ばきで、美しい帯三本をたらした帯台を背負い、この帯台に短冊をつける。十八歳の青年たちによって執り行われる。」とあります。
View Article竜王町の鏡(かがみ)神社のとがらい祭りの概要を知りたい。
『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「十二月の午日」で、概要は「子供たちが、源義経の偉業を偲ぶ行事。子供十数人と、おとな十人衆とが、神社から地区内にある御旅所まで渡りをする。この時子供たちは鉦や太鼓をたたいて地区内を「とまらい、上がらい」「ま上がって、とまらい」と囃して回る。これは、牛若丸が奥州に下る途中、ここで泊って元服をした故事を伝えたものだという。」とあります。
View Article日野町の馬見岡綿向(うまみおかわたむき)神社の日野祭りの概要を知りたい。
『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「五月二日から四日まで」で、沿革は「嘉応(一一六九~七〇)年間の頃より始まったと伝える。神調社と呼ばれる神子を中心とした田楽座が神社へ神を迎えに行き、三基の神輿、十六基の曳山、そして神幣などで雲雀野といわれる御旅所へ御幸する祭りである。日野商人の財力によって絢爛豪華なものとなって現在に至っている。」とあります。
View Article旧甲南町(現、甲賀市)の桜(さくら)神社の納涼祭の概要を知りたい。
『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「七月十四日」で、概要は「祗園さんと呼ばれる桜神社の納涼祭は、柑子区の九つの組から一本ずつ(昔は二本ずつであったという)花が奉納され、午後三時ごろから順にこの花の花奪いが行われる。」とあります。
View Article旧水口町(現、甲賀市)の山村(やまむら)神社の太々講(だいだいこう)の概要を知りたい。
『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「三月二十五日」で、概要は「神饌を社務所から本殿へ運ぶ時、約三十メートルの連絡橋を敷設する。献饌の後、本殿では豊作祈念がなされ、悪魔払いの舞いが行われる。笙・ひちりき・流笛・太鼓の音色に合わせて滑稽踊りが奉納される」とあります。
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