『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「九月一日午後一時」で、概要は「一人の大男が富士山を作るために、サトイモの茎を天秤棒にして琵琶湖の土を運ぶ途中、中山の地でこれが折れて代りのサトイモを探したことが起源とされる。山若・山子と呼ばれる裃姿の青年が供物を奉った後、東西に分かれて丹精込めて育てたサトイモの茎の長さを競い、豊凶を占う。」とあります。
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