大笹原神社境内社篠原神社本殿の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
大笹原神社境内社篠原神社は野洲市大篠原にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「棟札から1427年(応永34)の建築とされており、、室町時代の一間社隅木春日造(いつけんしゃすみぎいりかすがずくり)では県下唯一の遺構である。平面は正面の柱間1.54m、奥行は母屋(もや)1.25m、向拝(こうはい)1.24mで、各柱は礎石上にくまれた土台にたち、木階8級、母屋の正側面に廻縁をつけ、脇障子はなく...
View Article近江神宮崇福寺塔心礎納置品の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
近江神宮は大津市神宮町にあります。崇福寺は大津市滋賀里甲にあった古代寺院です。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「1940年(昭和15)5月17日に崇福寺塔心礎から発見された舎利(しゃり)容器および荘厳(そうごん)具の一式は、その後、近江神宮の所蔵品として国宝に指定され、現在京都国立博物館に寄託されています。これらの遺物は大津京跡調査の一環として行われた崇福寺遺構の調査中に、三重塔跡の地中深くに...
View Article近江国衙跡の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
近江国衙跡は大津市大江六丁目にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「大津市大江6丁目(中略)を中心におよそ9町四方域のひろがりをもつ方格街路を近江国府(こくふ)とよび、その中央部南端にもうけられた東西幅2町、南北幅3町域の区画を近江国衙跡、または近江国庁(こくちょう)跡と称している。1965年・1966年(昭和40・41)の発掘調査によって、わが国ではじめて地方官衙の政庁があきらかにされ...
View Article勝手神社本殿の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
勝手神社は竜王町岡屋にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「(前略)三間社流造(さんげんしゃながれづくり)の庇(ひさし)の間に建具をもうけて前室とし、さらに孫庇(まごひさし)を向拝(こうはい)とする形式の本殿は県内に中世の遺構が多くある。ただし、勝手神社本殿は前室の建具を菱組格子戸とした例で、前室をあまり閉鎖的にせず、実に優美な形をなしている。棟札写によれば、1400年(応永7)の上棟で...
View Article春日神社(大津市)本殿の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
春日神社は大津市大石富川一丁目にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「(前略)現在の本殿は1319年(文保3)の再建で、春日造ではなく、正面の柱間数2間で3.65m、母屋(もや)の側面2間で2.73mの入母屋造(いりもやづくり)に2間の向拝(こうはい)をつけ、屋根はいちじるしく急勾配である。母屋の正面は2間とも格子戸引違(こうしどひきちがい)とし、内部は幣軸板扉構(へいじくいたとびらかま...
View Article安土城跡の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
安土城跡は近江八幡市安土町にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「蒲生郡安土町の安土山に残る織田信長の居城跡。1576年(天正4)に起工、数年を経て完成。五層七重の天守をほこったが、本能寺の変後、1582年(天正10)6月15日に焼失。石垣などを残すのみとなった。安土山は大中ノ湖(現、干拓)に南から北へつきだし、南側には堀がめぐらされていて要害の地であった。(中略)。最頂部はやや南に偏し...
View Article油日神社楼門および廻廊の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
油日神社は甲賀市甲賀町油日にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「墨書銘により1566年(永禄9)の建立があきらかで、楼門の下層平面は正面3間で6.19m、側面2間で3.17mの和様の建物である。縁を受ける腰組および上層柱上組物とも三手先(みてさき)で、下層の中央間には頭貫(かしらぬき)上および通肘木(とおりひじき)上と2段に蟇股(かえるまた)を入れ、下段のものは竜や瑞鳥を彫刻した通例の...
View Article油日神社福大夫面の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
油日神社は甲賀市甲賀町油日にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「(前略)縦19.7cm、横14.5cmの男面。キリ一材から彫出し、頭髪とまゆ毛、歯を墨彩し、唇に朱をほどこしているほかは素地のまましあげる。面裏に「(中略)永正五年戊辰六月十八日...
View Article油日神社拝殿の概要が知りたい。(滋賀県立図書館)
油日神社は甲賀市甲賀町油日にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「(前略)拝殿の建立年代は宝蔵の資料から1609年(慶長14)前後とかんがえられている。入母屋造檜皮葺(いりもやづくりひわだぶき)の屋根は妻を正面とし、二軒疎垂木(ふたのきまばらだるき)で正背面に軒唐破風(のきからはふ)をつける。平面規模は正面柱間数3間で5.99m、側面も3間で5.91m。方柱上に舟肘木(ふなひじき)をのせ...
View Article安土瓢箪山古墳の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
安土瓢箪山古墳は近江八幡市安土町宮津にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「蒲生郡安土町宮津に所在する県内でも最古、最大級の前方後円墳である。全長162m、後円部径90m、前方部幅70mを測り特殊器台型埴輪や茶臼山式土師壺が巡っていたと推定される。1935年(昭和10)前方部から2個の箱式石棺が発見され、その1棺から石釧、匂玉、管玉、丸玉、小玉が出土したため、翌年後円部にある3基の竪穴式...
View Article阿自岐神社庭園の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
阿自岐神社は豊郷町安食西にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「(前略)この庭園は、池の庭で同境内のほぼ全域におよび、社殿のある中島が最も大きくその東側に二つの中島と三つの出島、西側に四つの中島と五つ出島がある。このような様式は、池の庭として最も古いものとされ、日本庭園の源流と考える説がある。県指定名勝。(毛利道大)」とあります。 参考資料: 1 滋賀県百科事典 滋賀県百科事典刊行会∥編...
View Article足利義尚公陣所跡の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
足利義尚公陣所跡は栗東市上鈎にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「室町幕府第9代将軍足利義尚(1465~89)は、戦国大名佐々木六角高頼討伐のため動座し、鈎(まがり)(現、栗太郡栗東町)に陣所を設営した。当時近江国は台頭する六角氏勢力に掌握され、山門領や幕府近習・奉公衆などの所有する荘園への押領ははなはだしく、幕府の権門体制を揺がすものといっても過言ではなかった。1487年(長享元)1...
View Article光浄院庭園の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
光浄院は大津市園城寺町にあり、園城寺(三井寺)の塔頭寺院の1つです。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「(前略)書院が建てられた1601年(慶長6)ころにつくられたものと推定される。この庭は、書院の南側につくられた池の庭で、書院の広縁のところまで池がきずかれ、池の東側に中島をつくり石橋を架ける。正面山麗に滝を表現した2つの立石をおき、南西はスギ、マツ、ツツジなどを植えて背景とし、いっそう優美にみ...
View Article向源寺(光眼寺)木造十一面観音菩薩立像の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
向源寺(光眼寺)は長浜市高月町渡岸寺にあり、通称渡岸寺もしくは渡岸寺観音堂と呼ばれています。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「(前略)像高177.3cm。像容は、頭上一列に六面と髻(もとどり)上に一面、後頭部に一面、そして本面の両脇に各一面を配するというめずらしいものである。両耳には大きな耳?(じとう)をつけ、垂髪(すいほつ)を両肩にたらし、天衣、条帛をかけ、裳を着し、腰を左にひねって左足をや...
View Article甲賀寺跡の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「甲賀寺の名は『続日本紀』744年(天平16)11月13日の条にはじめてあらわれる。すなわち「甲賀寺始建盧舎那佛體柱」と、信楽(甲賀郡)にある甲賀寺で盧舎那佛造立のことがはじまったとみられるのである。その後の文献に「造甲可寺所」(天平17)とか「甲可寺造沸所」(天平19)などがあらわれる。この甲賀寺と甲賀宮すなわち紫香楽宮との関係をどうみるかは、種々の意見のわか...
View Article絹本著色(けんぽんちゃくしょく)浅井長政像の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
長浜市小谷丁野町の小谷城址保勝会が所蔵しています。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「湖北の戦国大名浅井長政の肖像画で、高野山持明院本(重要文化財)とともによく知られているもの。濃茶地の直垂(ひたたれ)に首から濃茶地金泥条の掛絡(かけらく)をまとい、やや右方をむいて上畳に坐す像で、右手には金泥の扇、左手には白色の年珠とって、黒塗の腰刀をさす。内衣は、茶地に白・朱・群青、朱地に白でそれぞれ文様をほ...
View Article源昌寺木造薬師如来立像の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
源昌寺は長浜市余呉町上丹生にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「(前略)右手は掌を前にむけて施無畏(せむい)印をしめし、左手は薬壺をのせ、偏袒右肩(へんたんうけん)の大衣(たいえ)を着す薬師如来である。像高147.9cm。ヒノキの一材より頭体の根幹部を彫成し、それに両肩以下の側面材を各一材矧ぐ。眉、ヒゲ、目、唇に彩色をほどこすほかはまったく彩色していない。(中略)鎌倉初期に造立されたな...
View Article見性庵大般若経の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
見性庵は甲賀市土山町鮎河にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「(前略)712年(和銅5)に長屋王(ながやおう)(684~729)が、707年(慶雲4)に崩じた文武天皇(在位697~707)の追善供養のため、発願(ほつがん)書写せしめた大般若経で、長屋王願経とよばれている。大般若経としては現在最古で、書写年から和銅経ともいわれる。常明寺(27帖)・太平寺(142帖)所蔵の大般若経と一具で...
View Article玄宮楽々園庭園の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
玄宮楽々園庭園は彦根市金亀町にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「玄宮園と楽々園からなり、もとは一つの庭である。(中略)1677年(延宝5)当時の藩主井伊直興(なおおき)が、家来の香取(かとり)氏に命じてつくらせ1679年(延宝7)に完成していることが、記録にのこされている。玄宮園は、宏大な池の庭で、元島、新島などの四つの中島をつくり、東部から北部にかけて築山をきずき園路をめぐらしてい...
View Article鶏足寺木造薬師如来立像の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
長浜市木之本町古橋の鶏足寺収蔵庫である己高閣に保管されています。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「『興福寺官務牒疏』(こうふくじかんむちょうそ)によると、鶏足寺のある己高(こだかみ)山の周辺には「己高山五箇寺」とよばれる寺院がたっていた。この像は、そのうちの1カ寺である法華寺に安置されていたとつたえる。像高181.6cm。頭体を通して1材からつくり、内刳(うちぐり)して背板をあて、表面には薄く...
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