近江国衙跡は大津市大江六丁目にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「大津市大江6丁目(中略)を中心におよそ9町四方域のひろがりをもつ方格街路を近江国府(こくふ)とよび、その中央部南端にもうけられた東西幅2町、南北幅3町域の区画を近江国衙跡、または近江国庁(こくちょう)跡と称している。1965年・1966年(昭和40・41)の発掘調査によって、わが国ではじめて地方官衙の政庁があきらかにされた。南北に廊でつながる東西棟の建物は前殿、後殿として国司が政務をあずかる政庁域の中心的建物となり、さらに前殿の左右から前面にかけて、廊でつながる南北棟の長大な建物は東、西両脇殿とみることができる。いずれの建物跡も瓦積基壇を残し、礎石をもちいた瓦葺の建物であった。また南には中門、南大門を配し、四周は築垣によってかこまれていた。出土土器や瓦の編年によって、奈良時代前半に創建され平安時代後半の10世紀末葉には完全に崩壊した。政庁域四周の国衙域内のその後の発掘調査では全期間をつうじて鉄器生産がなされていたことをしめす鍛治炉跡が多数検出され、近江国衙の特質があきらかにした。また衙域の北西部では11世紀以降の柵跡が発見されていることから、その位置をわずかにかえながら鎌倉時代へつづいたものと推定される。国指定史跡。(丸山竜平)」とあります。
参考資料: 1 滋賀県百科事典 滋賀県百科事典刊行会∥編 大和書房 1984年 S-0300- 84 P.89-90,
↧