鶏足寺木造十一面観音立像の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
長浜市木之本町古橋の鶏足寺収蔵庫である己高閣に保管されています。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「己高(こだかみ)山の山頂近くにたっていた観音寺の本尊とつたえる。像高172.1cm。右手首までをふくんだ頭体幹部をヒノキ1材からつくり、内刳(うちぐり)しない。頭上面は頂上仏面をふくめて11面をのせるが、一部に後補があり、また両手・両足なども後補になる。彩色仕上げとするが、その彩色もあまりのこって...
View Article鶏足寺木造七仏薬師如来立像の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
長浜市木之本町古橋の鶏足寺収蔵庫である己高閣に保管されています。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「(前略)像高はいずれも70cm前後で、ヒノキの1材からつくり、背面より背刳り(せぐり)をほどこして蓋板(ふたいた)をあて、素木のままでしあげている。いずれも通肩の衣をきて、左手の上に薬壺をのせる形式をとるが、この種の七仏薬師は比叡山の根本中堂にも安置されていたと記録されている。(中略)鎌倉時代の1...
View Article桑實寺本堂の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
桑實寺は近江八幡市安土町桑実寺にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「(前略)建物の形式、手法は室町時代前期をしめしており、このころに建てられたものと推察できる。正面柱間数5間、奥行6間、屋根は入屋造(いりもやづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)。背面屋根は山肌に接近しているため飛檐(ひえん)垂木を省略して軒出をあさくしている。外陣(げじん)は正面の5間に蔀戸(しとみど)をつり、両側面の前寄り...
View Article倉橋部廃寺の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
倉橋部廃寺は近江八幡倉橋部町にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「近江八幡倉橋部町の安吉(あき)神社付近に古瓦の出土地がある。古瓦のしめす時代は白鳳時代と考えられているので、そのころ付近に寺院が存在していたものとおもわれる。安吉神社名にみられるように『和名類聚抄』の蒲生郡安吉郷の郷域をこのあたりとし、この寺院も安吉郷やこの地にいたとおもわれる安吉氏と関連づけて安吉寺とする説もある。(中...
View Article熊野神社木造熊野本地仏像の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
熊野神社は草津市平井町にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「(前略)この熊野神社には本地堂(ほんちどう)が本殿にむかって左側にあって、熊野十二所権現のうち九所の熊野権現の本地仏がまつられている。熊野十二所権現とは本宮・速玉・那智の三所を中心に、五所と四所の明神がくわわった神々で、平井町の熊野神社には中心の三所は完存するが、五所の児宮と子守宮、四所の一万宮・十万宮をうしなって九所の本地仏...
View Article国友一貫斎文書の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「江戸中・後期、需要の減少によって低迷する国友鉄砲鍛冶集団のなかで、生来の才能と7年におよぶ江戸滞在期にえた洋学の知識をもとに、職能的科学者として数多くの業績をのこした国友一貫斎関係の古文書で、一貫斎の生家(長浜市国友町国友英之丞家)に伝存している。文書は、鉄炮関係、気砲(現在の空気銃)関係、望遠鏡関係、発明考案品関係、書簡の五つに大別され、量的には鉄砲関係文書...
View Article国友一貫斎作気炮の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「空気銃の一種で、1819年(文政2)に国友一貫斎(1778~1840)が完成したもの。当時の日本には「風砲」とよばれるオランダから将軍家に献上された空気銃が伝存していたが、圧搾(あっさく)空気の持続力に弱点(2発目から発射力が激減する)があった。将軍家御典医山田大円の紹介でこの風砲を修理した一貫斎は、さらに独自の改良と工夫をかさねて、射程距離が長く、弾丸の貫通...
View Article草津宿本陣の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
草津宿は草津市草津一丁目にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「(前略)草津宿は東海道、中山道の分岐点で交通の要衝。大名など貴人用の旅宿として本陣2軒、脇本陣2軒が存在していた。そのうち田中七左衛門本陣は建物が現存し、国の史跡に指定されている。現在の建物は、1718年(享保3)に類焼後、膳所藩の瓦が浜御殿を拝領して移築したもの。一部改造されているが、よく旧状をつたえている。敷地面積約43...
View Article玉泉寺木造慈恵大師坐像の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
玉泉寺は長浜市三川町にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「(前略)良源は俗性木津氏、浅井郡の人で、912年(延喜12)9月3日に生まれた。その生地に建立されたのが玉泉寺である。本像の像高84.5cmで、寄木内刳(うちぐり)、彩色、玉眼嵌入像、通行の姿にあらわされる。慈恵大師像に特徴的な1本の長い眉毛が鉄線でうえつけられている。護法像としての他像にくらべて、ややその表現はやわらげられてい...
View Article旧宮地家住宅の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
旧宮地家住宅は、もとは長浜市国友町にありましたが、現在は近江八幡市安土町の「近江風土記の丘」に移築保存されています。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「(前略)建物は琵琶湖の北部に多い入母屋造(いりもやづくり)の妻入形式で、余呉型民家とよばれている。1754年(宝暦4)にたてられたもので間口(妻側)が4間、奥行を6間にした中型規模の農家。内部は入口より土間、土座(にうじ)、上げ間に区分し、さらに...
View Article旧秀隣寺庭園の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
旧秀隣寺庭園は高島市朽木岩瀬にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「1528年(享禄元)三好の乱によって、時の将軍足利義晴が細川高国をともない、朽木朽木稙綱を頼って朽木(中略)に数年間滞在している。そのときいとなまれた居館の庭園である。秀隣寺というのは、義晴居館のあとに1601年(慶長6)朽木宣綱が妻の周林院を弔うため館を寺にあらためたもの。寺はのち、他の地にうつされ、享保年間(1716...
View Article旧西郷屋敷長屋門の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
旧西郷屋敷長屋門は彦根市金亀町にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「(前略)この屋敷は明治以後は裁判所としてつかわれており、この門も最高裁判所の所有に属している。建築年代は明確でないが江戸中期のころのものと考えられる。桁行(間口)24間、梁間(奥行)3間(43.9m×5m)の長大な長屋門で、入母屋造(いりもやづくり)棧瓦葺。通用口(門)は建物の南寄りにもうけ2本の門柱をたて板扉をつり、...
View Article衣川廃寺跡の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
衣川廃寺跡は大津市衣川二丁目にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「(前略)県内最古の飛鳥時代末から白鳳時代にかけての寺院跡である。1975年(昭和50)の発掘調査によって、塔跡、金堂跡、瓦窯跡、工房跡と推定される竪穴住居跡が検出された。塔跡は、推定基壇の1辺およそ14m、高さ1.25mを測り、版築の最上層のなかから瓦塔が出土している。塔建立前に瓦塔の安置が考えられる。金堂跡は推定基壇の...
View Article記恩寺蘆花浅水荘庭園の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
記恩寺蘆花浅水荘は大津市中庄一丁目にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「日本画の大家であった山元春挙が1921年(大正10)にたてた別邸で蘆花浅水荘と名づけられ、画の師森寛斎(かんさい)と父母をまつるための記恩堂として建立されたことから記恩寺ともいう。この庭は、三上山、湖南アルプス、琵琶湖を借景とし、書院の前面になだらかな芝生の小山を二つつくり、ひくくおさえられた松をところどころに植栽...
View Article(大原)観音寺木造伝教大師坐像の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
観音寺は米原市朝日にあり、通称大原観音寺といわれています。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「伝教大師の彫像は、根本中堂に810年(弘仁元)に勧進されて造像されたものがあったことが『山門堂舎記』にみえるが、現存遺品中、最古のものが本像である。像高66.1cm。頭巾(ずきん)をかぶり、法衣の上に袈裟(けさ)と横被(おうひ)をつけ、禅定三昧の姿をあらわす。この姿は、天台大師の画像にちかい。本像は、ヒ...
View Article(芦浦)観音寺豊臣秀吉自筆北野湯茶道具目録(1幅)の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
観音寺は草津市芦浦町にあり、通称芦浦観音寺といわれています。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「1587年(天正15)10月1日、豊臣秀吉が京都の北野神社でひらいた北野大茶会は有名であるが、この目録は10月12日の朝の茶会における四畳半の飾りの品を列記した目録である。秀吉は京中に高札を掲げ、老若男女・貴賤を問わず参加せよと呼びかけ、参集する者1000余名におよんだという。秀吉、千利休、津田宗及、...
View Article(芦浦)観音寺絹本著色(けんぽんちゃくしょく)聖徳太子像の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
観音寺は草津市芦浦町にあり、通称芦浦観音寺といわれています。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「(前略)この図は太子16歳のとき、父用明天皇の病気平癒(へいゆ)をねがい、柄香炉(えごうろ)をささげていのる姿を描いたいわゆる孝養像(こうようぞう)とよばれるものである。孝養像の古様は坐形で、この図のような立像形式が生まれてくるのは、鎌倉中期ころとおもわれる。太子は横向きで髪をむすんで両肩にたらし、柄...
View Article(芦浦)観音寺阿弥陀堂・書院の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
観音寺は草津市芦浦町にあり、通称芦浦観音寺といわれています。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「阿弥陀堂は県下ではきわめてめずらしい中世の禅宗様(ぜんしゅうよう)の建物であり、その建立年代はあきらかではないが形式手法より室町時代とみとめられる。柱間間数は正面奥行とも3間であり、正面は6.07m、奥行は5.92m、高さは7.02m、側柱(がわばしら)は角柱(かくばしら)で、内部は来迎柱(らいこうば...
View Article岩蔵寺木造薬師如来立像の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
岩蔵寺は野洲市大篠原にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「(前略)土地では「篠原の薬師様」といって信仰があつい。薬師如来はふつう薬壺を左手でもっているが、この岩蔵寺像は薬壺を持たないで、右手施無畏、左手与願の印相となっている。最澄が785年(延暦4)比叡山にはいり草庵をかまえて、霊木から根本薬師堂(現、根本中堂)の主尊薬師如来を造立するがこれは薬壺をもたない立像の薬師であった。最澄造立...
View Article川桁御河辺(かわげたみかべ)神社石灯籠の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)
川桁御河辺神社は東近江市神田町にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「(前略)本殿を囲む塀の中にあり、火袋が木枠で補強されているが、全部そろった、1311年(延慶4)在銘の六角型最優秀品である。全高約221cm、基礎側面には孔雀、蓮花、獅子などを、竿は俗に珠繋(たまつな)ぎという珠文帯をほり、火袋には円窓をあけている。笠の蕨手(わらびて)は直立し、円孔をあけている。基礎上端、中台下端、受...
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