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明治4年(1871)7月14日の廃藩置県断行により全国の諸藩は廃藩となったが、滋賀県でそれ以前に自発的に廃藩した藩があったと聞いた。その藩の名称、時期、理...

『滋賀県の歴史』・『高島町史』・『滋賀県年表』などによりますと、藩の名称は「大溝藩」で、時期は「明治四年六月二十三日」です。『高島町史』によりますと、廃藩の理由は「わずかに二万石余の小藩である大溝藩は、江戸時代後期から多額の藩債(はんさい)をかかえ、藩の財政は極度に圧迫されていたようだ。それに加えて、藩主分部光貞(わけべみつさだ)は、明治三年(一八七〇)四月に没し、その跡目(あとめ)は、いまだ幼少の...

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比良山とは単独峰の名前でしょうか。それとも山系の名前でしょうか。(滋賀県立図書館)

『滋賀県百科事典』によりますと、「琵琶湖西岸を南北につらなる連峰の総称で、比良山地(系)ともよぶ。(中略)山系の北と西は安曇(あど)川により、西は和邇川によりかぎられる。南北は23kmにたっするが東西幅は北部で12kmから南部で4kmと漸次ちぢまり全体としてくさび形を呈する。(中略)最高峰は1214.4mの武奈ヶ岳で、ほかに釈迦岳(1060.6m)、比良岳(1051m)、打見山(1100m)、蓬?山...

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彦根藩の筆頭家老を務めた木俣家の当主の通称は清左衛門だと思うのだが、半弥という通称を使用した人がいたのかを知りたい。使用した人がいれば、その当主の諱を知り...

木俣家の当主の通称は清左衛門ですが、『侍中由緒帳 1』によりますと、同家3代目守明以降何人かの当主が半弥という通称を名乗っています。守明の通称は19歳まで清三郎でしたが、「直孝様御鷹・御馬被指添、千石被下置、名を茂半弥与御直ニ御附被為成」とあります。その時期は明確ではありませんが、『新修彦根市史...

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『江北記』という書物の読み方は「ごうほくき」でよいのか。また、この書物の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)

『日本史文献解題辞典』・『国書総目録 第3巻』・『国史大辞典 5』によりますと、読み方は「ごうほくき」とあります。しかし、『群書解題 第4 』は「コウホクキ...

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彦根藩に龍草廬という学者がいたそうだが、名前の読み方と略歴を知りたい。(滋賀県立図書館)

『龍草廬』・『新修彦根市史 第2巻』・『江戸時代人づくり風土記...

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中世の近江に高島七頭という武士団がいたが、その成立の経緯を知りたい。また、七頭の具体的な氏名と系図があれば見たい。(滋賀県立図書館)

『近江源氏...

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大津市の平井商店が江戸時代から醸造している清酒「浅茅生」の読み方と、その由来について知りたい。(滋賀県立図書館)

『日本の名酒事典』によりますと、銘柄名の読み方は「あさじお」で、その由来としては「銘柄「浅茅生」は1677年、後水尾天皇の皇子聖護院宮道寛親王より賜った和歌より命名された」とあります。1677年は元号では延宝5年になります。なお、平井商店に問い合わせたところ、道寛親王の和歌は、「浅茅生の志げき野中の真清水はいく千世ふともくみはつきせじ」でした。 参考資料: 1 日本の名酒事典 講談社 2005年...

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大津市大練寺境内に練貫(ねりぬきの)水の井戸跡があるが、その名前の由来を知りたい。また、練貫水が枯渇した時期と原因を知りたい。(滋賀県立図書館)

『大津の伝説』によりますと、「三井寺町の大練寺境内には、かつて練貫水と呼ばれた名水が湧き出ており、泉涌山の山号もこれにちなんで付けられたという。この水は清らかな水であったようで、大津宮を開いた天智天皇の御衣を練ったことから練貫水の名がおこったといわれ、豊臣秀吉も来寺し、この水で点(た)てた茶を飲んだところ大変おいしかったので、その後も京都の聚楽第(じゅらくだい)から家臣が日々水を汲みに来たといわれて...

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長浜みーな協会発行の地域情報誌「みーな...

『湖北昔話』によりますと、「余呉湖の目玉石 (中略)...

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滋賀県立大学に吸収された滋賀県立短期大学の校歌の作詞者、作曲者、歌詞と楽譜を知りたい。また、学章に二つの長い六角形があったが、それは何を表しているのだろう...

『滋賀県立短期大学の歩み』によりますと、学歌(校歌)の作詞者は「永沢毅一」、作曲者は「多田操」で、学歌の歌詞と楽譜も掲載されています。また、学章については「大学の文字の下に長形六角を2個V字形に配する。六角形は金亀城(彦根城)の亀甲を表す。(昭和26年9月10日制定)」とあります。 参考資料: 1 滋賀県立短期大学の歩み 滋賀県立短期大学∥編集 滋賀県立短期大学 1996年 S-3751- 96...

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滋賀県日野町に在住していた細川雄太郎が作詞した童謡「あの子はたあれ」と「ちんから峠」の歌詞全文と楽譜が掲載されている資料はないか。また、「ちんから峠」は「...

「あの子はたあれ」と「ちんから峠」の歌詞全文と楽譜は、『童謡と唱歌 1』と『日本童謡名歌110曲集 1』に掲載されています。また、「ちりから峠」の歌詞全文は、『童謡と唱歌 1』に掲載されています。 参考資料: 1 童謡と唱歌 1 春夏のうた 池田小百合∥著 夢工房 2002年 G-7677-イ p.216-223, 参考資料: 2 日本童謡名歌110曲集 1 全音楽譜出版社 2-7677-1...

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近江八幡市安土町に所在する香庄の読み方について、同市のホームページでは「このしょう」と呼んでいるが、歴史的にみてこの読み方は正しいのだろうか。漢字名につい...

『角川日本地名大辞典 25』によりますと、「こうのしょう 香庄〈安土町〉 (中略)村名は平安末期に見られる香御園(こうのみその)の後身かと思われる香庄の荘園名による。(中略)〔近世〕香庄村 江戸期~明治22年の村名。蒲生郡のうち。香之庄村とも書く。(後略)」とあります。『滋賀県の地名』によりますと、「このしょうむら 香之庄村...

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滋賀県の郷土料理の分布を記した地図はないのか。また、箱館そばの作られている場所・食べられる時期を知りたい。そのレシピの掲載されている資料もないだろうか。(...

『つくってみよう滋賀の味 [1]』に、滋賀県内の郷土料理の分布を記した地図が掲載されています。箱館そばは高島市今津町日置前三谷で作られています。『湖西の味』によりますと、「箱館山にスキー客が訪れる時期には、「しぎ野」がオープンし、にぎわっています。」とあり、食べられる時期は12月から3月までです。『湖西の食紀行』には、箱館そばのレシピが掲載されています。 参考資料: 1 つくってみよう滋賀の味...

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滋賀県という県名の由来を知りたい。特に、なぜ「志賀」ではなく「滋賀」の字が使われたか。また、「シガ」という名称は何かを意味しているのか。石の多い場所という...

1.滋賀県という県名の由来と「滋賀」の字の使用について 『角川日本地名大辞典 25』によりますと、「〔県名の由来〕滋賀郡の滋賀からきており、さざなみの志賀に通じるところから採用されたと思われるが、確実な史料はない。」とあります。また、『志賀町史...

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江戸時代末期から明治時代中期にかけて、現在の蒲生郡日野町に居住していた賀来春齋(壽平)の出身地、生没年、日野に移住した時期を知りたい。(滋賀県立図書館)

『近江蒲生郡志 巻8』の賀来春齋の部分によりますと、「(前略)其先は豊後国賀來郡に住す依て氏とす、後ち豊前国宇佐郡佐田村に住したり、春齋西洋の醫術を修し天保年中日野に來り業を創む(後略)」とあります。生年の記載はありませんでしたが、没年は「明治二十四年四月十七日」とあります。また、『近江日野町志...

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かつて田上山に落ちた隕石の概要を知りたい。(滋賀県立図書館)

『滋賀の自然』によりますと、「滋賀県大津市田上山の水晶・黄玉石の産地の谷間において、偶然農夫が発見したものといわれるもので、我が国においては初めての隕鉄に属し、重量173kgもあるといわれている(明治32年高工学博士はじめてこれを地質学雑誌第6巻446~448において世に紹介された。つづいて翌33年大築理学士によってこれが同誌第7巻P85~93に詳論された)。目下東京上野科学博物館に陳列されている。...

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滋賀県の現在の年間生乳生産量、生産量の年間推移、全国で第何位かを知りたい。また、滋賀県の現在の乳牛頭数、頭数の年間推移、全国で第何位かについても知りたい。...

冊子版『滋賀県統計書 平成22年度』、冊子版『牛乳乳製品統計...

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江戸時代の漢方医学書である『腹證奇覧』の著者稲葉文礼は近江に在住していたと聞いた。この人物の略歴、人名の読み方、『腹證奇覧』の概要と出版年を知りたい。また...

『近世漢方医学書集成...

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江戸幕府の旗本奥山重次が江戸時代前期に、近江国神崎郡で所領を与えられているが、その時期と場所・石高を知りたい。また同家の子孫は幕末期には奥山主税と名乗った...

『八日市市史 第3巻...

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多賀大社のおみくじは通例のものとは違うと聞いた。その概要を知りたい。(滋賀県立図書館)

『お多賀さん』によりますと、「(前略)お多賀さんのおみくじは、全部で三十六番まである。普通、おみくじといえば「吉凶」の別が書かれているが、ここのはそれがない。すべて、歌と解説ばかり。じっくり読んでもらい、それぞれ人生の指針に役立ててもらおうという趣向。(後略)」とあります。 参考資料: 1 お多賀さん 多賀大社社務所 1972年 S-1759- 72 p.85,

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