木俣家の当主の通称は清左衛門ですが、『侍中由緒帳 1』によりますと、同家3代目守明以降何人かの当主が半弥という通称を名乗っています。守明の通称は19歳まで清三郎でしたが、「直孝様御鷹・御馬被指添、千石被下置、名を茂半弥与御直ニ御附被為成」とあります。その時期は明確ではありませんが、『新修彦根市史 第2巻』によりますと、第3代藩主井伊直孝の在任期間は慶長20年(1615)から万冶2年(1659)までですので、この期間中のことだったと思われます。他にも、『侍中由緒帳 1』によりますと、4代目守長が「拾七歳ニ而、直澄様江御目見仕、翌年より名をも半弥ニ罷成候様ニ被仰付」とあります。ただし、守長はその後通称を清左衛門と称するようになっています。5代目守盈は元禄7年(1694)から半弥を名乗り、宝永7年(1710)隠居に伴い、通称を清左衛門に変更しています。6代目守貞は享保7年(1722)から同19年(1734)まで半弥を名乗ったのち、清左衛門となり、8代目守前は天明2年(1782)に半弥、寛政9年(1797)には土佐と名乗っています。
参考資料: 1 侍中由緒帳 1 彦根城博物館∥編集 彦根市教育委員会 1994年 S-2551-1 p.40,
参考資料:
2 新修彦根市史 第2巻 通史編 近世 彦根市史編集委員会∥編集 彦根市 2008年 S-2151-2 p.67,142,
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