『大津の伝説』によりますと、「三井寺町の大練寺境内には、かつて練貫水と呼ばれた名水が湧き出ており、泉涌山の山号もこれにちなんで付けられたという。この水は清らかな水であったようで、大津宮を開いた天智天皇の御衣を練ったことから練貫水の名がおこったといわれ、豊臣秀吉も来寺し、この水で点(た)てた茶を飲んだところ大変おいしかったので、その後も京都の聚楽第(じゅらくだい)から家臣が日々水を汲みに来たといわれている。」とあります。練貫水枯渇の時期と原因については、『琵琶湖疏水』によりますと、「大津古水道断水事件 古来大津市街の山の手は水に恵まれず、長等山麓の湧水を、埋設した竹管で各戸に導水しているところが少なくなかった。殊に神出車路(かみでくるままち)の大練寺(だいれんじ)境内にある「練貫(ねりぬき)の水」は四季を通じて涸(か)れず、水質良好な名泉で、これを水源として生活する住民は大津西北部の十数ヶ町に及んでいた。しかし、明治十九年に疏水掘削工事の最中、長等山中に存在していたその水源が絶たれてしまい、一滴の水も出なくなった。「練貫の水」の石組の井枠は今も涸れ果てた姿で大練寺に現存している。」とあります。
参考資料: 1 大津の伝説 大津市教育委員会博物館建設室∥企画編集 大津市 1988年 S-3811- 88 p.80,
参考資料:
2 琵琶湖疏水 浅見素石∥著 サンライズ出版 2005年 S-5111- 05 p.168,
参考資料:
3 新修大津市史 第5巻 近代 林屋辰三郎∥[ほか]編 大津市役所 1982年 S-2111-5 p.302-303,
参考資料:
4 琵琶湖治水沿革誌 第1巻 琵琶湖治水会∥編 琵琶湖治水会 1968年 S-5180-1 p.282-289,
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