Quantcast
Channel: レファレンス協同データベース
Viewing all articles
Browse latest Browse all 148826

明治4年(1871)7月14日の廃藩置県断行により全国の諸藩は廃藩となったが、滋賀県でそれ以前に自発的に廃藩した藩があったと聞いた。その藩の名称、時期、理由について知りたい。(滋賀県立図書館)

$
0
0
『滋賀県の歴史』・『高島町史』・『滋賀県年表』などによりますと、藩の名称は「大溝藩」で、時期は「明治四年六月二十三日」です。『高島町史』によりますと、廃藩の理由は「わずかに二万石余の小藩である大溝藩は、江戸時代後期から多額の藩債(はんさい)をかかえ、藩の財政は極度に圧迫されていたようだ。それに加えて、藩主分部光貞(わけべみつさだ)は、明治三年(一八七〇)四月に没し、その跡目(あとめ)は、いまだ幼少の分部光謙(みつのり)が継いでいたのである。このような事情をかかえていた小藩は、大溝藩のみではなく、それらは、政府の廃藩置県令を待たず、自発的な解藩を行っていた。この自発的解藩は、吉井藩(群馬県)・狭山(さやま)藩(大阪府)など一三藩(枝藩を含む)に及んでいる。」とあります。 参考資料: 1 滋賀県の歴史 畑中誠治∥著 井戸庄三∥著 山川出版社 2010.11 S-2100- 10 p.287, 参考資料: 2 高島町史 高島町役場∥編 高島町役場 1983年 S-2116- 83 p.681, 参考資料: 3 滋賀県年表 滋賀県史編さん室∥編 滋賀県 1985年 S-2600- 85 p.7,

Viewing all articles
Browse latest Browse all 148826

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>