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彦根藩に龍草廬という学者がいたそうだが、名前の読み方と略歴を知りたい。(滋賀県立図書館)

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『龍草廬』・『新修彦根市史 第2巻』・『江戸時代人づくり風土記 25』によりますと、読み方は「たつそうろ」です。略歴は『龍草廬』によりますと、「龍草廬(一七一五-一七九二)は、伏見御香宮(ごこうのみや)門前に生まれた儒学者です。江戸時代中期に彦根藩の儒学者として迎えられ、龍家は以後代々、明治四年(一八七一)の廃藩に至るまで藩儒として活躍しました。本姓は龍見(たつみ)といい、御香宮の歴代宮司をつとめる三木(そうぎ)家の一族と伝えています。父伝次(でんじ)、母きちの次男。名ははじめ元亮(もとすけ)のち公美(きみえ)に改めています。字は君玉(くんぎょく)、一字を子明(しめい)といい、彦根藩士官後、子玉(しぎょく)と改め、隠居後再び君玉とします。通称は幼名を才治郎(さいじろう)、彦根藩士官時には彦次郎(げんじろう)、また元次郎(げんじろう)と改め、隠居後に衛門と称しています。草廬はその号。ほかに竹隠(ちくいん)・呉竹翁(ごちくおう)・竹窓主人(ちくそうしゅじん)・松菊主人(しょうぎくしゅじん)などを用い、庵号を明月楼主人(めいげつろうしゅじん)・白雲楼(はくうんろう)・呉竹楼などと称しています。幼少期より学問をこのみ、京都に出てほとんど独学により荻生徂来(おぎゅうそらい)の古文辞学(こぶんじがく)を学び一家をなし、詩の結社幽蘭者(ゆうらんしゃ)を主催しています。」とあります。なお、文中の「幽蘭者」は「幽蘭社」の誤植です。 参考資料: 1 龍草廬 彦根城博物館∥編集 彦根市教育委員会 1993年 S-1251- 93 表紙の裏ページ, 参考資料: 2 新修彦根市史 第2巻 通史編 近世 彦根市史編集委員会∥編集 彦根市 2008年 S-2151-2 p.622,633-634,639, 参考資料: 3 江戸時代人づくり風土記 25 石川松太郎∥[ほか]編纂 農山漁村文化協会 1996年 S-2500- 96 p.368-374,

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