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江戸幕府の旗本奥山重次が江戸時代前期に、近江国神崎郡で所領を与えられているが、その時期と場所・石高を知りたい。また同家の子孫は幕末期には奥山主税と名乗ったが、その時期の所領村と石高も知りたい。(滋賀県立図書館)

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『八日市市史 第3巻 』によりますと、「重成の子重次(しげつぐ)(重勝)は徳川秀忠(ひでただ)の書院番となり、寛永二年(一六二五)近江国神崎郡と美濃国安八・山県二郡のうちにおいて一〇〇〇石余の領知朱印状を下された。ちょうど、三淵藤利のときと同時で、上日吉村五二七石一斗六升を藤利と折半して二六三石五斗八升、浜野村も同じく折半して一七四石四斗二升五合ずつとし、ほかに八日市村を井伊・三淵二氏と分けて七六石八斗七升、合計五一四石八斗七升五合となる。残りの五〇〇石は美濃国にあったものであろう。」とあります。また、奥山主税の所領ですが、旧領取調帳 近畿編』に明治元年(1868)の近江国の領主と所領村・石高が掲載されています。同資料によりますと、奥山主税の所領村・石高は、「上日吉村 263石5800」、「浜野村 159石5500」、「八日市村 76石8700」とあります。なお、神崎郡上日吉村は現在東近江市建部日吉町に、浜野村は東近江市八日市浜野町に、八日市村は東近江市八日市町になっています。 参考資料: 1 八日市市史 第3巻 近世 八日市市史編さん委員会∥編 八日市市役所 1986年 S-2142-3 p.204-205, 参考資料: 2 旧高旧領取調帳 近畿編 木村礎∥校訂 近藤出版社 1975年 S-2508- 75 p.297-298,

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