近江にあった安土(あづち)城の所在地などのほか、その歴史を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、所在地など城の歴史は「近江国のほぼ中央にそびえる観音寺山の一支尾根である標高199mの安土山にきずかれた織田信長の居城。安土城は、1576年(天正4)正月中旬に工をおこしたが1カ月後には早くも信長が岐阜よりうつっている。4月にはいると城内の石垣をきずくために観音寺山や長命寺山、伊庭山などから石をはこばせるとともに、天守をきずくために畿内および近国の諸侍をはじめ京、奈良...
View Article近江にあった坂本(さかもと)城の所在地などのほか、その歴史を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、所在地など城の歴史は「坂本城は、大津市下阪本の湖辺にあって東南寺河口の三角州に位置していた。1571年(元亀2)織田信長は、山門焼打ち後の比叡山延暦寺の監視と反信長勢力に処するために明智光秀に坂本城の築城を命じた。城の規模や構造の詳細は不明だが、当時の日記『兼見卿記(かねみきょうき)』から大天主、小天主で構成された城は琵琶湖に面し、城内に湖水をひきいれた水城であったこ...
View Article近江にあった河瀬(かわせ)城の所在地などのほか、その歴史を知りたい。(滋賀県立図書館)
『定本日本城郭事典』によりますと、所在地は「彦根市南川瀬」、創築年代は「南北朝」、創建者は「池田定信」、形式は「平城」です。城の歴史は「近江犬上郡の総鎮守、多賀神社の神官多賀氏は、鎌倉時代には神官兼御家人であり、その所領は多賀庄が考えられる。この多賀庄から自立していくのが河瀬氏で、多賀氏以外の諸豪は、多賀神社の神役拒否から、日吉社を勧請して勝手に河瀬庄、八坂庄を形成する。(中略)河瀬氏は三流あって、...
View Article近江にあった柏原(かしわばら)城の所在地などのほか、その歴史を知りたい。(滋賀県立図書館)
『定本日本城郭事典』によりますと、所在地は「坂田郡山東町清滝」、創建者は「柏原弥三郎、京極氏信」、形式は「平城」です。城の歴史は「近江の名族、宇多源氏佐々木氏は信綱の時に四子は大原、高島、六角、京極の四氏に分かれ、京極氏初代氏信が柏原弥三郎の館を与えられて居館とし、さらに規模を拡張、清滝寺を建立して菩提寺とした。同時に氏信は伊吹山中腹に大平寺城を築いたが、これは、平素の居館、柏原城に対する詰の城であ...
View Article近江にあった長浜(ながはま)城の所在地などのほか、その歴史を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、所在地など城の歴史は「長浜城は現在の長浜市公園町を中心に営まれ、その中心部は豊公園となっている。一説によると長浜はその昔今浜といった一村で、1336年(延元元)京極導誉が今浜城を築いたのにはじまり、今浜氏や上坂氏が守将として居城したといわれている。浅井氏の滅亡後、小谷城へはいった羽柴秀吉は、湖岸の今浜へ築城し、今浜を長浜と改名、1575年(天正3)入城した。城は湖岸に...
View Article近江にあった瀬田(せた)城の所在地などのほか、その歴史を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、所在地など城の歴史は「瀬田城はかつて瀬田川にかかる瀬田唐橋の東南畔に位置し、東海道を監視する重要な地を占めていた。この城は土豪山岡氏の一族の山岡資宏(すけひろ)が永享年間(1429~41)にはじめて築城したという。代々山岡氏が瀬田城主となったが、とくに1568年(永禄11)以降、山岡景隆(かげたか)が織田信長につかえて瀬田城をまもった。景隆を有名にしたのは、本能寺の変...
View Article近江にあった膳所(ぜぜ)城の所在地などのほか、その歴史を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、所在地など城の歴史は「1601年(慶長6)、徳川家康が相摸川河口の「膳所崎(ぜぜがさき)」(現、大津市丸の内町、本丸町)に築城させ、大津城を廃城として、同城主戸田一西(かずあき)をうつらせたもの。以後、譜代大名が交替して入封、1651年(慶安4)からは譜代の本多氏の居城となる。初期の城郭は本丸・二の丸・三の丸からなっていたが、1662年(寛文2)本丸・二の丸を合体して...
View Article近江にあった佐和山(さわやま)城の所在地などのほか、その歴史を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、所在地など城の歴史は「彦根市佐和山町に所在し、石田三成の居城として著名。大手を中山道に面した鳥居本側にひらき、標高232.9mの最高所に本丸、現在の彦根駅側に搦手を配していた。鎌倉時代初期ころから砦として利用され、室町時代には六角氏と京極氏のあいだで双方の前進基地として攻防がくりかえされた。浅井氏の台頭後は、その将磯野伊予守員吉・員昌父子が入城し織田軍を苦しめたが開城...
View Article近江にあった佐治(さじ)城の所在地などのほか、その歴史を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀県百科事典』によりますと、所在地など城の歴史は「甲賀郡甲賀町小佐治の北方、甲賀学園の近くの丘陵地にある。この丘陵地を小字名「城殿(じょんど)」とよび、東西15m、南北40mほどの周囲に、わずかに土塁、堀跡をのこす。佐治城の歴史は古い。佐治氏は伊豆の国(現静岡県)からこの地にうつり佐治氏と称し、応仁年間(1467~69)佐々木六角高頼に属し築城した。1万4000石取りの武将。1585年(天正13...
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