『日本城郭体系 11』によりますと、所在地は「甲賀郡甲賀町毛枚」、創築年代は「室町-安土桃山時代」、創建者は「山岡景隆・景友」、形式は「山城」です。城の歴史は「山岡城は、甲賀町大字毛枚の中央山頂にある。高さ五mの方形土塁に囲まれ、入口は北側で、北側土塁をめぐるような空堀が通路となっている。この城は、山岡景隆・景友(道阿弥)の本領ともいえる城である。景隆は信長に仕え、瀬田城(大津市瀬田)一万石で瀬田橋を守護しており、本能寺の変(一五八二)では明智光秀の安土城攻めを防いだり、のちには、家康を宇治から小川城(甲賀郡信楽町)へ送る神君伊賀越えの御供を果たしたりした。また、景隆の弟も、初め佐久間信盛に仕えて、織田・徳川と歴任しており、慶長年間(一五九六-一六一五)の初めに道阿弥と称して家康の近侍として仕えている。景隆・景友ともに甲賀郡外の大名であるが、山岡城にもよく立ちよって、甲賀武士と共に行動し、墓所も毛枚大福寺にある。」とあります。なお、甲賀郡甲賀町毛枚は現在甲賀市甲賀町毛枚に、甲賀郡信楽町も甲賀市信楽町になっています。
参考資料: 1 日本城郭大系 11 新人物往来社 1980年 S-5200- 80 p.284,
参考資料:
2 滋賀県中世城郭分布調査 2 甲賀の城 滋賀県教育委員会∥編 滋賀総合研究所∥編 滋賀県教育委員会 1984年 5B-5200-2,
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