『日本城郭体系 11』によりますと、所在地は「甲賀郡土山町黒川」、創築年代は「応仁年間(一四六七-六九)、創建者は「黒川与四郎」、形式は「山城」です。城の歴史は「黒川城は、土山町大字黒川の東方山腹にあり、東西八〇m×南北九〇mの方形プランの山城である。城主黒川氏は、応仁・文明年間(一四六七-八七)、黒川与四郎が蒲生郡馬淵(近江八幡市)下司職と、土山課役を給分として領有した。その後、近江国守護六角氏の配下として活躍し、織田信長の上洛阻止に失敗し、甲賀に亡命する六角義賢のために、家臣辻和泉を甲斐の武田信玄応援の使者として派遣し、義賢の次男中務大夫賢永を甲斐へ下らせた。天正十三年(一五八五)の甲賀破儀をもって改易されたが、のち再び本領黒川のみを食封として許された。しかし、豊臣秀頼に属して、慶長十九年(一六一四)、大坂冬の陣に参軍したため領地を失った。その後、黒川氏の娘が徳川頼宣の側室となり綱教を生み、幕下に列せられ、黒川村を復した。」とあります。なお、甲賀郡土山町黒川は現在甲賀市土山町黒川になっています。
参考資料: 1 日本城郭大系 11 新人物往来社 1980年 S-5200- 80 p.279,
参考資料:
2 日本城郭辞典 鳥羽正雄∥著 東京堂出版 1995年 R-5218-ト,
参考資料:
3 滋賀県中世城郭分布調査 2 甲賀の城 滋賀県教育委員会∥編 滋賀総合研究所∥編 滋賀県教育委員会 1984年 5B-5200-2,
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