『日本城郭体系 11』によりますと、所在地は「甲賀郡甲南町杉谷」、創築年代は「天正二年(一五七四)」、形式は「山城」です。城の歴史は「杉谷屋敷は、甲南町大字杉谷の西方の山腹にある。採土のため半壊しているが、西面土塁(高さ四m)と、南北土塁が一部残存し、西面土塁は山麓を削り、城郭を独立させるために空堀がある。また、北面には、平坦地が確認でき、西側中央に井戸がある。杉谷屋敷は、天正二年に近江国守護六角氏が築いた最後の陣であり、甲賀武士杉谷氏の城を整備して利用している。元亀二年(一五七一)、織田信長は、六角氏・甲賀武士の守る鈴鹿峠を通れず、千種(ちぐさ)峠(蒲生郡)を越える。その時、六角承禎の命を受けた杉谷善住房は、信長を討とうとするが失敗して、翌年捕えられ、立ちながらにして地に埋められ、七日間竹鋸で首を引き切られる。代々杉谷氏は鉄砲の名手で、善住房も甲賀随一の名手といわれ、その鉄砲も「甲賀張り」を使用したといわれる。」とあります。なお、甲賀郡甲南町杉谷は現在甲賀市甲南町杉谷になっています。
参考資料: 1 日本城郭大系 11 新人物往来社 1980年 S-5200- 80 p.281,
参考資料:
2 滋賀県中世城郭分布調査 2 甲賀の城 滋賀県教育委員会∥編 滋賀総合研究所∥編 滋賀県教育委員会 1984年 5B-5200-2,
参考資料:
3 甲賀郡志 下巻 甲賀郡教育会∥編 名著出版 1971年 S-2130-2,
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