『日本城郭体系 11』によりますと、所在地は「甲賀郡甲賀町大原中字垂井」、別称は「甲斐屋敷」、創建年代は「明応年間(一四九二-一五〇二)、創建者は「垂井甲斐守」、形式は「平城」です。城の歴史は「垂井城は俗称甲斐屋敷とよばれており、城跡の東端には、南北に走る高さ六mの土塁がある。一二mはなれて平行に高さ四mの土塁が走り、南側土塁は道路に削られてしまい、わずかだが、西側には残存している。また、北側土塁も存在したことが伝えられているが、その際(きわ)のみを、河川堀が証明している。明応四年、「油日神社再建奉加帖」に垂井甲斐守の名があることから、美濃国垂井から来たと伝えられていたが、文明四年(一四七二)に大原垂井の名があり、かつ地名・立地ともに大原庄の中央、大字大原中にあり、さらに「大原氏系図」にも大原垂井の付記で家村の名がみえる。大原家村は、長享の乱で武勇をあげた源三の父である」とあります。なお、甲賀郡甲賀町大原中字垂井は現在甲賀市甲賀町大原中になっています。
参考資料: 1 日本城郭大系 11 新人物往来社 1980年 S-5200- 80 p.282-283,
参考資料:
2 滋賀県中世城郭分布調査 2 甲賀の城 滋賀県教育委員会∥編 滋賀総合研究所∥編 滋賀県教育委員会 1984年 5B-5200-2,
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