『日本城郭体系 11』によりますと、所在地は「甲賀郡土山町山中」、創築年代は「建久五年(一一九四)」、創建者は「山中新五郎俊直」、形式は「山城」です。城の歴史は「山中城は、土山町大字山中の中央、現在の国道一号線(東海道)の南方の山腹にある。城跡は、郭の東と西に土塁を残している。また、付近に「堀内」「大門」「同心屋敷」などの小字がある。山中新五郎俊直は、建久五年に鎌倉幕府より鈴鹿山守護として、鈴鹿山賊、盗賊を鎮める役命を受けている。この山中村地頭職、上山村友行名下司職は、山中俊直、俊信、有俊、氏俊を経て、建武二年(一三三五)になり、実秀の代に、為顕と道俊で所領を二分して、鈴鹿山警固役は二人で役を果たしている。南北朝の動乱で、勢力を増大した道俊は、養子頼俊をして柏木御国惣庄検断職をもたせ、甲賀郡内でも代表的な武士に成長した。」とあります。なお、甲賀郡土山町山中は現在甲賀市土山町山中になっています。
参考資料: 1 日本城郭大系 11 新人物往来社 1980年 S-5200- 80 p.285,
参考資料:
2 滋賀県百科事典 滋賀県百科事典刊行会∥編 大和書房 1984年 S-0300- 84 p.737,
参考資料:
3 滋賀県中世城郭分布調査 2 甲賀の城 滋賀県教育委員会∥編 滋賀総合研究所∥編 滋賀県教育委員会 1984年 5B-5200-2,
参考資料:
4 大津の城 大津市史編さん室∥編 大津市 1985年 S-5211- 85,
参考資料:
5 甲賀郡志 下巻 甲賀郡教育会∥編 名著出版 1971年 S-2130-2,
参考資料:
6 萬川集海 藤林保義∥著 誠秀堂 1975年 5-7830- 75,
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