『定本日本城郭事典』によりますと、所在地は「坂田郡山東町清滝」、創建者は「柏原弥三郎、京極氏信」、形式は「平城」です。城の歴史は「近江の名族、宇多源氏佐々木氏は信綱の時に四子は大原、高島、六角、京極の四氏に分かれ、京極氏初代氏信が柏原弥三郎の館を与えられて居館とし、さらに規模を拡張、清滝寺を建立して菩提寺とした。同時に氏信は伊吹山中腹に大平寺城を築いたが、これは、平素の居館、柏原城に対する詰の城である。柏原弥三郎は俗に伊吹弥三郎といった。源義経に従った軍功により、柏原庄地頭職を与えられたが、狼藉押領などの非行が多く、佐々木広綱、信綱の兄弟に討たれた。現在の清滝寺は徳源院といい、天台宗である。氏信以来、歴代の墓が並び、京極氏の盛衰を物語る。これは寛文の頃(一六六一-七一)丸亀城主京極高豊が幕府に願って付近に散在する歴代の墳墓を清滝寺に集め、欠けたるは補?し、順序を整備してできたものである。さらに高豊は所領の内、播磨の二村を返上して清滝村四百八十九石七斗と大野木村の中九十七石二斗九升を京極領として明治に至った。」とあります。なお、坂田郡山東町清滝は現在米原市清滝になっています。また、文中の「大平寺城」は「太平寺城」の誤植と思われます。
参考資料: 1 定本日本城郭事典 西ケ谷恭弘∥編 秋田書店 2000年 R-5218-ニ p.219,
参考資料:
2 滋賀県中世城郭分布調査 6 旧坂田郡の城 滋賀県教育委員会∥編集 滋賀県教育委員会 1989年 5B-5200-6,
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