『定本日本城郭事典』によりますと、所在地は「彦根市南川瀬」、創築年代は「南北朝」、創建者は「池田定信」、形式は「平城」です。城の歴史は「近江犬上郡の総鎮守、多賀神社の神官多賀氏は、鎌倉時代には神官兼御家人であり、その所領は多賀庄が考えられる。この多賀庄から自立していくのが河瀬氏で、多賀氏以外の諸豪は、多賀神社の神役拒否から、日吉社を勧請して勝手に河瀬庄、八坂庄を形成する。(中略)河瀬氏は三流あって、鎌倉時代の河瀬氏の出自は明らかでない。南北朝頃、京極氏四代宗氏の長男定信は故あって宗家を継がず、池田氏を名のって河瀬城を築き、同時に遠久寺を建立した。柏原城、勝楽寺城とともに近江での城と寺院の一体化の好例である。この後、河瀬貞貫、貞親、貞信と続いて美濃に去るが、京極氏五代道誉の活躍を支える大きな力となった。その後の河瀬氏も同様に京極氏の支流で、室町中期には河瀬城は廃されたようであるが、一族は蓮台寺城、甘露城などに拠り、浅井氏の勢力がおよび来るまで犬上郡で重きをなしていた。」とあります。なお、文中の「道誉」は「導誉」と書く場合もあります。
参考資料: 1 定本日本城郭事典 西ケ谷恭弘∥編 秋田書店 2000年 R-5218-ニ p.220,
参考資料:
2 滋賀県中世城郭分布調査 5 旧愛知・犬上郡の城 滋賀県教育委員会∥編 滋賀県教育委員会 1987年 5B-5200-5,
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