『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「空気銃の一種で、1819年(文政2)に国友一貫斎(1778~1840)が完成したもの。当時の日本には「風砲」とよばれるオランダから将軍家に献上された空気銃が伝存していたが、圧搾(あっさく)空気の持続力に弱点(2発目から発射力が激減する)があった。将軍家御典医山田大円の紹介でこの風砲を修理した一貫斎は、さらに独自の改良と工夫をかさねて、射程距離が長く、弾丸の貫通力も強化された空気銃(気砲)を完成し、商品化した。銃身部は鉄製で白壇(びゃくだん)皮で包み、機関部は真鋳(しんちゅう)製、空気圧搾用のポンプが付属する。全長149.7cm、銃身長98.7cm、口径は1.1cm(長浜市国友町国友昌三所蔵による)。長浜市指定文化財。一貫斎は、最終的に連発式の「早打気砲」を完成している。(西岡直樹)」とあります。
参考資料: 1 滋賀県百科事典 滋賀県百科事典刊行会∥編 大和書房 1984年 S-0300- 84 p.221,
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