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多賀町の多賀(たが)大社・氏子周辺の多賀祭りの概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「四月二十二日」で、概要は「年間多数ある神事の中で最も盛儀な祭りで、いわゆる例祭である。いつ頃から始まったかは不詳であるが、記録によると鎌倉時代には盛大に行われていた。祭りの中心人物は御使殿と馬頭人で、これらは一月三日の差定式で決まる。当日、本殿祭に続いて馬頭人・御使殿は、犬上川下流賓台で御幣合式、神輿は来栖調宮(御旅所)へ向かう。」とあります。

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近江八幡市の篠田(しのだ)神社の篠田の火祭りの概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「五月四日(雨天は花火のみ順延)点火は午後九時三〇分」で、概要は「日本古来の花火の製造法を伝えている大仕掛け(高さ十五メートル、幅二十五メートル)の絵花火で、約一か月の手間をかけて作られる。点火すると火薬が音もなく燃え、闇のなかに青白い光の糸で絵姿を浮かべる。江戸時代に雨乞いの返礼として、御用硝石を用いて花火をつくり、余興と技術の練磨の場としたとされる。」とあります。

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近江八幡市の日牟礼八幡宮(ひむれはちまんぐう)の八幡(はちまん)祭りの概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「四月十四日(松明祭)・十五日(太鼓祭)」で、概要は「応神天皇が近江に行幸の際、舟で現在の南津田へ上陸した時、住民が葭で松明を作り、八幡まで道案内をしたと伝える。十四日夜、八幡十二郷の中鷹飼より祭りの火が始まり、最後に拝殿神輿前にて「まいじゃらの神事」「けずりかけの神事」が行われる。千年来の鉾が神役に渡され、翌日の太鼓渡しの順のしるしとなる。そして十五日夕刻から渡...

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近江八幡市の日牟礼八幡宮(ひむれはちまんぐう)・氏子周辺の左義長(さぎちょう)祭の概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「三月十四・十五日に近い土・日曜日」で、概要は「『信長公記』に、織田信長が安土において毎年正月盛大に左義長を行い、自ら異粧華美な姿で躍り出たとある。信長没後、豊臣秀次が安土の住民を八幡城下に移住させたことにはじまる。左義長は藁で三角錐の松明を作り、そこへ赤紙を中心とした紙製品で飾り付け、自由な変装をした踊り子が神輿のように舁ぎ回る。日曜日の夕、くじの順に奉火する。...

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旧野洲町(現、野洲市)の御上(みかみ)神社・氏子周辺の若宮殿相撲御神事(わかみやどのすもうごじんじ)の概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「十月九日から十四日」で、概要は「ずいき祭りともいう。秋の収穫感謝と子孫繁栄を祈念する。起源は鎌倉時代以前。五つの宮座から毎年一人ずつ頭家が奉仕、四年前から諸準備にかかる。祭礼は九日甘酒行事、十一日湯立て、十二~三日には各頭家でズイキで神輿をつくり、栗・柿・粟・稗などで装飾し、十四日朝行列を組んで奉納する。同日夜、神社で芝原式。東西両座から力士が出て相撲をとる。」...

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旧野洲町(現、野洲市)の御上(みかみ)神社の御田植(おたうえ)祭の概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「五月二十五日」で、概要は「昭和大礼大嘗祭悠紀斎田田植祭ともいう。昭和三年、昭和天皇即位の際の大嘗会の新穀を供進する悠紀地方に滋賀県がト定された時、三上が悠紀斎田の地に選定され、盛大な御田植祭が営まれた。以来、保存会によって毎年三上神社境内の斎田で、巌谷小波作詞の「お田植え歌」もにぎやかに、早乙女が苗を植える。斎田で収穫された稲は宮中に献上される。」とあります。

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栗東市上砥山の日吉(ひよし)神社境内野神神社・野神さんの濁酒(どぶろく)祭りの概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「六月一日に一番近い日曜日の午前中」で、概要は「六月初頭に神社・野神さんで祭礼が行われた後、神酒(濁酒)が参拝者にふるまわれる。この濁酒は、まず前年の五月中旬に神饌用田植祭により当番の田が定められ、九月に抜穂式がなされ、玄米二斗が酒造米として保管される。翌年三月下旬には玄米を酒造用白米に仕上げ、四月にしこみがされる。五月下旬、神酒殿で濁酒の量とアルコール度数の検査...

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大津市の日吉(ひよし)大社摂社唐崎(からさき)神社のみたらし祭りの概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「七月二十八日から二十九日まで」で、概要は「唐崎は七瀬の祓所の一つであり、みたらし祭りは唐崎神社の夏越しの大祓神事である。特に下の病い、婦人病等に神徳があるとされ、近郷からの参拝者が多い。本殿での大祓秦上に始まり、茅の輪くぐり、人形流し、湖上護摩木焚上と行事が続く。」とあります。

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大津市の日吉(ひよし)大社西本宮の山王礼拝講(さんのうらいはいこう)の概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「五月二十六日午前九時」で、概要は「法華八講ともいう。万寿二年(一〇二五)、山僧が習学修練を怠り僧兵として社頭を歩くさまを嘆くと共に、日吉大神を和め奉るために西本宮拝殿で行われた法華八講が起源とされている。修祓・祝詞奏上の後、法華経についての問答が行われる。神仏習合時代の様子を今に伝える貴重な祭礼である。」とあります。

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大津市の近江神宮(おうみじんぐう)の例大祭の概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「四月二十日午前十時」で、概要は「四月二十日は天智天皇が大津に都を遷され、大化の改新の理想の下に新しい国家造りの大事業を進めた記念日にあたる。勅使参向のもとに例大祭が斎行され、午後は近江まつり(奉祝行事)が境内を中心として賑々しく執り行われる。特に子供神輿や樽神輿、本殿中庭での舞楽奉納は、彩りを添える。」とあります。

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大津市の日吉(ひよし)大社西本宮・比良山系打見山・本福寺・琵琶湖上の比良八講(ひらはっこう)の概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「三月九日から二十六日まで」で、概要は「平安時代から行われている行事で、八講とは元来供養のために法華経八巻を四日間で読誦する法要をいう。現在は天台比良修験道の修験者や延暦寺僧らが中心となって行う。まず、日吉大社に集まり安全祈願をし、志賀町の打身山頂での取水作法、本福寺(長等三丁目)での読経、湖上での修法、琵琶湖タワー前での大護摩供法要と続く。」とあります。なお、志...

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大津市の日吉(ひよし)大社の山王祭の概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「三月一日から四月十五日まで」で、概要は「県内屈指の大祭。起源は約千三百年前、三輪明神が坂本に遷座した時、里人が大榊を日吉に捧げたことに始まるという。祭礼は、神興上げ・大榊の神事・午の神事・献茶祭・花渡り・宵宮落とし・粟津の御供・神輿の還御・酉の神事・船路の御供と続き、一か月半に及ぶ祭は終わる。なかでも山王七社の神輿の渡御は壮大で荒々しく、大榊の神事などの静寂な神...

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大津市の日吉(ひよし)大社にある西本宮・東本宮の大戸(おおと)開き神事の概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「一月一日午前五時」で、概要は「年の始めに、日吉の大神と人々との出会いの祭り。いわゆる歳旦祭にあたる。この神事には、日の出前の暁闇のなか、松明の灯で能「翁」(日吉の翁)(西本宮)・謡曲「高砂」(東本宮)が片山能太夫によって奉納される。松明の分火を自宅へ持ち帰り、炊事の火とする風習が残り、発火(ほっか)という別称がある。」とあります。

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比叡山延暦寺(えんりゃくじ)の鬼追式(おにおいしき)の概要を知りたい。

『滋賀の百祭...

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近江神宮(おうみじんぐう)の漏刻祭(ろうこくさい)の概要を知りたい。

『滋賀の百祭...

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多賀町の多賀(たが)大社・調宮(ととのみや)神社の大宮祭の概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「十一月十五日」で、概要は「江戸時代の「年中行事」にも記録されているように、古くから行われていたようで、明治十八年までは霜月中の午の日になされていたが、以降十一月十五日に斎行されるようになった。この祭りは栗栖の御旅所調宮神社に遷御されるもので、古来から信仰されている「神送り」の行事であると思われる。」とあります。

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多賀町の白山(はくさん)神社・当屋宅の三季(さんき)の講(祭りの講)の概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「九月二十三日」で、概要は「祭りの講ともいう。宮守が神社に集まり、早朝から装束をつけて講を始める。当屋行になると年少の者から二列にて「ヤアヤア」と掛声をあげながら当屋に行き、前夜用意した粟と米の粉で団子を作る。残りの者は藁草履負縄を作り、藁団子などの用意が出来るとそれを「おひつ」に入れ、年少者に背負わせ神社に引き返す。」とあります。

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多賀町の多賀(たが)大社の古知古知角力(こちこちずもう)の概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「九月九日」で、概要は「九月古例祭の神事の一つで、本殿祭に続いて拝殿の前庭で行われる。いつ頃から行われているのか定かでないが、「年中行事」にも記載されている。中川原の代表と高宮の代表が相撲を取るのが通例で、その理由については不詳である。現在は氏子内の青年によって奉仕されている。」とあります。

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多賀町の多賀(たが)大社の万灯(まんとう)祭の概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「八月三日から五日まで」で、概要は「黄泉大神となった伊邪那美大神に祖霊の加護を奉納する祭り。境内は崇敬者や氏子の人達の献灯する約一万八千灯の提灯が夜空に輝く。その提灯のもと江州音頭・郷土芸能・カラオケ大会等の神賑行事が催され、また参道には万灯市も開かれ、連日多くの人達で夜更けまで賑わう。」とあります。

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多賀町の多賀(たが)大社の御田植(おたう)え祭りの概要を知りたい。

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「六月第一日曜日」で、概要は「江戸時代後期には行われていたという。昭和三年滋賀県が悠紀田に定められたのを契機に、彦根・犬上付近の青年男女が田植えを奉じた。現在は県内豊年講員子女約七十名によって行われる。特設舞台では豊年太鼓踊り、尾張万才が奉納される。」とあります。

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