『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「三月十四・十五日に近い土・日曜日」で、概要は「『信長公記』に、織田信長が安土において毎年正月盛大に左義長を行い、自ら異粧華美な姿で躍り出たとある。信長没後、豊臣秀次が安土の住民を八幡城下に移住させたことにはじまる。左義長は藁で三角錐の松明を作り、そこへ赤紙を中心とした紙製品で飾り付け、自由な変装をした踊り子が神輿のように舁ぎ回る。日曜日の夕、くじの順に奉火する。」とあります。
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