『日本城郭体系 11』によりますと、所在地は「大津市大江」、創築年代は「建武年間(一三三四-三八)」、創建者は「佐々木氏」、形式は「山城」です。城の歴史は「窪江城は、現在東レ瀬田工場が国鉄東海道本線と接する付近の小高い丘上にあって、現在も堅牢な石垣が残されている。その立地は、瀬田城跡の北方で、湖南・瀬田橋を見渡すかたちとなっており、軍事的要衝に位置していた。この窪江城については、歴史的にはまったくといってよいほど不明で、いい伝え程度のものしか残っていない。その伝わるところによると、建武年間に、近江佐々木氏によって築城され、勢多判官とその一族が初めて城主となり、のちに足利氏の武将摂津掃部頭が大江・大萱(おおがや)を支配して当城に入ったという。さらに、城は戦国時代末期、六地蔵(ろくじぞう)(栗太(くりた)郡栗東(りっとう)町)の城主高野甲斐守という者の支配を経て、織田信長の代に、瀬田城主山岡景隆の弟景祐が城主となったと伝えられている。しかし、明智光秀の攻撃により、景祐が甲賀郡に退いてのち廃城となる。明治二十二年、東海道本線の敷設によって城地の一部が削られ荒廃したが、東レが工場用地として買収以後、公園として整備された。」とあります。なお、六地蔵は現在栗東市六地蔵になっています。また、この地域の国鉄東海道本線はJR西日本琵琶湖線になっています。
参考資料: 1 日本城郭大系 11 新人物往来社 1980年 S-5200- 80 p.291,
参考資料:
2 滋賀県中世城郭分布調査 3 旧野洲・栗太郡の城 滋賀県教育委員会∥編 滋賀総合研究所∥編 滋賀県教育委員会 1985年 5B-5200-3,
参考資料:
3 大津の城 大津市史編さん室∥編 大津市 1985年 S-5211- 85,
参考資料:
4 近江栗太郡志 巻3 栗太郡役所∥編 栗太郡役所 1926年 S-2120-3,
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