『日本城郭体系 11』によりますと、所在地は「大津市本堅田町」、創築年代は「元禄十一年(一六九八)」、創建者は「堀田正高」です。城の歴史は「堅田は琵琶湖の最狭部に位置し、その地形的背景をもって「諸浦の親郷」として中世において湖上支配権を有していた。近世には大津代官所支配の天領になつたが、元禄十一年に下野国の堀田正俊の三男正高が堅田に移ると、陣屋の建設と町割を計画した。文政九年(一八二六)の「本堅田村絵図」によると、まず宮ノ切から東は湖面、西は祥瑞寺、南は浮御堂(うきみどう)、北は野々口通りに接する大きな範囲に総面積一一九aの陣屋を構えた。このときすでにあった民家を出町および野々口通りの西近江路寄りへ移している。陣屋の周囲は寺社、郷士の屋敷でかため、中世の水堀を利用して城下町的機能を有していた。しかし、文政九年に堀田氏は転封となり、堅田は再び天領にもどった。」とあります。なお、大津市本堅田町は現在大津市本堅田になっています。
参考資料: 1 日本城郭大系 11 新人物往来社 1980年 S-5200- 80 p.291,
参考資料:
2 滋賀県中世城郭分布調査報告 9 旧滋賀郡の城 滋賀県教育委員会∥編集 滋賀県教育委員会 1992年 5B-5200-9,
参考資料:
3 大津の城 大津市史編さん室∥編 大津市 1985年 S-5211- 85,
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