錦織白羊の読み方とその略歴を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀近代文学事典』によりますと、読み方は「にしごり・はくよう」で、略歴は「1911・1・15~1998・1・19。詩人。大津市堅田生まれ。本名恒夫。関西学院大学社会学科卒業後、近江兄弟社に入社して近江八幡市坂屋町に居住。「湖畔の声」(1948年8月~70年12月)の編集を担当した。50年、近江詩人会に創立時から参加。西条八十主宰「?人形」、竹内てるよ主宰「群生」同人。詩集に『みづうみ』(50年7月...
View Article錦織吐月の読み方とその略歴を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀近代文学事典』によりますと、読み方は「にしごり・とげつ」で、略歴は「1901・5・6~1987・3・21。俳人。滋賀郡堅田町(現大津市本堅田)生まれ。本名良夫。郵便局長の長男。1914年3月、堅田尋常高等小学校尋常科修了。逓信省逓信講習所修了。その後家業の特定郵便局局長職をつぐ。35年ごろより中井余花朗らとともに俳句をはじめ「ホトトギス」に投句。47年11月の高浜虚子来堅のさいには、率先して虚...
View Article西木忠一の読み方とその略歴を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀近代文学事典』によりますと、読み方は「にしき・ただかず」で、略歴は「1935・8・15~。国文学者。歌人。栗太(くりた)郡大字野路(のじ)(現草津市野路町)生まれ、大津市在住。1954年草津高等学校を卒業し、滋賀大学学藝学部入学。58年関西大学大学院に進む。高等学校3年の担任は「潮音(ちょうおん)」(太田青丘(せいきゅう)主宰)同人三品千鶴(みしなちず)。その影響で60年同社社友となり、69年...
View Article西川うせつの読み方とその略歴を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀近代文学事典』によりますと、読み方は「にしかわ・うせつ」で、略歴は「1874・1・6~1956・6・23。俳人。高島郡(現高島市)新旭町藁園(わらその)生まれ。本名式四郎。京都府立医学校卒業後、1898年高島郡(現高島市)安曇川町南市(みなみいち)で眼科医を開業し「ホトトギス」に投句。「京鹿子」に属して鈴鹿野風呂の指導を受け、1927年から地元の銀杏俳句会を主宰。38年、53年には会の選句集も...
View Article黒田重太郎の読み方とその略歴を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀近代文学事典』によりますと、読み方は「くろだ・じゅうたろう」で、略歴は「1878・9・20~1970・6・24。画家、随筆家。大津に生まれる。両親は大阪の呉服商であったが、母が病を得て転地療養のために大津に移り住み、そこで洋服商を営んでいた時に生まれた。その後、大阪の小学校にかよい、慶応義塾の普通部に進んだが、中途退学。1904年頃、京都で画塾を開いていた鹿子木孟郎の最初の内弟子としてその門に...
View Article黒田湖山の読み方とその略歴を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀近代文学事典』によりますと、読み方は「くろだ・こざん」で、略歴は「1878・5・25~1926・2・18。小説家。甲賀郡水口村(現甲賀市水口町)生まれ。本名直道。(中略)1895年4月水口藩医であった巌谷小波の父が上京した縁故で、上京。東京専門学校(現早稲田大学)に学ぶ。6月に処女作「可憐児」を「少年世界」に発表。下層に生きる人の生態を描いた。1898年に中央新聞社に入社。1899年7月「新小...
View Article久米幸叢の読み方とその略歴を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀近代文学事典』によりますと、読み方は「くめ・こうそう」で、略歴は「1898・6・10~歿年月日未詳。俳人。米原町(現米原市)に生まれる。本名建次。南満洲鉄道に勤めた。敗戦後、引き揚げて大津市役所に勤務。俳句は高浜虚子に師事。1934年に「ホトトギス」同人となる。句集に『句集幸叢』(56年8月、刊行会)、『続句集幸叢』(76年10月、刊行委員会)がある。(浦西和彦)」とあります。 参考資料: 1...
View Article久保宗雄の読み方とその略歴を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀近代文学事典』によりますと、読み方は「くぼ・むねお」で、略歴は「1954・月日未詳~。SF作家。滋賀県に生まれる。京都市立藝術大学卒業。TV特撮番組の企画会社社員、フリーの編集者を経て、作家活動に入る。著書にアレグサンダー・ケイ原作『未来少年コナン』(1982年4月、朝日ソノラマ)、『真・女神転生if・・・・・・』(95年7月、アスベクト)がある。(浦西和彦)」とあります。 参考資料: 1...
View Article久保田暁一の読み方とその略歴を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀近代文学事典』によりますと、読み方は「くぼた・ぎょういち」で、略歴は「1929・5・22~。小説家、評論家。高島郡高島町大字勝野(現高島市勝野)生まれる。大溝尋常小学校、県立今津中学校(現高島高等学校を経て、1947年4月国立彦根経済専門学校に入学。この年クリスチャンであった姉が病死し、それが契機となって翌年の12月、日本基督教団大溝教会で受洗。牧師を志すが父に反対され、彦根経済専門学校を卒業...
View Article国松俊英の読み方とその略歴を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀近代文学事典』によりますと、読み方は「くにまつ・としひで」で、略歴は「1940・11・12~。児童文学者。守山市梅田町生まれ。1959年3月、県立八幡商業高等学校卒業。64年3月、同志社大学商学部卒業後、千葉県船橋市で会社勤務。翌年から同人誌「ぴのきお」で童話創作を始める。詩画集『山小屋の絵本』(73年3月、私家版)を刊行した後、最初の児童文学作品『ホタルの町通信』を(75年12月、偕成社)か...
View Article幸田真音の読み方とその略歴を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀近代文学事典』によりますと、読み方は「こうだ・まいん」で、略歴は「1951・月日未詳~。小説家。八日市市(現東近江市)生まれ。本名沢登久子。京都女子大学卒業後、コンチネンタル・イリノイ・ナショナル銀行、AMFに勤務。その後、バンカーズ・トラスト銀行、B・Tアジア証券において、ディーリングや外国債券セールスを通じて、国際金融市場に携わる。その経験を生かし、金融市場では謎の存在とされながらも、膨大...
View Article北垣吾楽の読み方とその略歴を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀近代文学事典』によりますと、読み方は「きたがき・ごらく」で、略歴は「1904・月日未詳~1988・11・18。俳人。滋賀県生まれ。本名雅楽一(うたかず)。滋賀県立膳所中学校を経て、1927年慶応義塾大学経済学科卒業。江若鉄道に勤務の後、日吉大社に奉職。30年京鹿子に入会。その支部で、大津在住者の集まりである浮寝句会にて句作。76年4月より歴史紀行的な随筆「湖西余情」を執筆する。87年京鹿子功労...
View Article片岡甚太郎の読み方とその略歴を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀近代文学事典』によりますと、読み方は「かたおか・じんたろう」で、略歴は「1898・9・16~1992・3・31。英文学者。大津市に生まれる。1923年に広島高等師範学校、32年に広島文理大学英語英文学科卒業。成城高等学校、関西大学、文部省文部事務官を経て、玉川大学等に勤め、桜美林大学名誉教授。著書に『アメリカ教育の分析』(48年5月、千代田出版社)、『ロバート・フロスト研究』(72年12月、北...
View Article片岡慶有の読み方とその略歴を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀近代文学事典』によりますと、読み方は「かたおか・けいゆう」で、略歴は「1898・8・24~1985・4・13。俳人。医師。栗太郡下田上村黒津(現大津市)生まれ。1925年京都帝国大学医学部卒業後、病院勤務を経て、29年大津市にて開業、終生地域医療に尽くす。医業のかたわら俳人としても活躍し、日本俳人協会に所属。「馬酔木」「霜林」の同人となり、まとまった句集はないが、「馬酔木」新人賞を受賞するなど...
View Article景山春樹の読み方とその略歴を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀近代文学事典』によりますと、読み方は「かげやま・はるき」で、略歴は「1916・1・9~1985・7・22。美術史研究家。滋賀郡坂本村(現大津市坂本本町)生まれる。国学院大学国史学科卒業。文学博士。国立京都博物館学藝部長、帝塚山大学教授などを歴任した。『神道の美術』(1965年9月、塙書房)、『神体山-日本の原始信仰をさぐる』(71年10月、学生社)、『神道美術-その諸相と展開』(73年8月、雄...
View Article柿本多映の読み方とその略歴を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀近代文学事典』によりますと、読み方は「かきもと・たえ」で、略歴は「1928・2・10~。俳人。大津市生まれ。大津市滋賀里居住。旧姓福家(ふけ)、本名妙子。三井寺の管長を父とする。1947年京都女子専門学校中国語科卒業。翌年歌誌「箜篌(くご)」入会。76年赤尾兜子に師事、「渦」に入会し句作を開始。兜子歿後、橋閒石、桂信子に師事。「草苑」「白燕」「犀」同人。現代俳句協会、日本ペンクラブ会員。80年...
View Article開田華羽の読み方とその略歴を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀近代文学事典』によりますと、読み方は「かいだ・かう」で、略歴は「1898・7・24~1976・7・1。俳人、医師。甲賀郡(現甲賀市)甲南町に生まれる。本名弘。膳所中学校(旧制)、府立大阪医科大学卒業。1941年より5年間応召。戦後神戸市に内科医院を開業。医科大学在学中、中村若沙、小山白楢、宇山白雨らの俳句部に属し、俳句を始めた。「山茶花」に投句。のち後藤夜半、高浜虚子に師事し「諷詠」同人となる...
View Article小原弘稔の読み方とその略歴を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀近代文学事典』によりますと、読み方は「おはら・ひろとし」で、略歴は「1934・1~1994・3・7。演出家。滋賀県に生まれる。本名弘亘。1956年宝塚歌劇団演出部に入団。60年宝塚雪組公演「新・竹取物語」で演出家としてデビューする。87年、「スウォード・フラシュ!」(1月17日~2月2日、宝塚バウホール)、「ミー&マイガール」(5月15日~6月23日、宝塚大劇場 8月2日~30日、東京宝塚劇場...
View Article尾崎与里子の読み方とその略歴を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀近代文学事典』によりますと、読み方は「おざき・よりこ」で、略歴は「1946・10・12~。詩人。長浜市神前町生まれ。1965年(昭和40)に長浜北高等学校卒業。京都理容美容専門学校卒業後、祖母、母、叔母の跡を継いで美容師となる。「髪結いさん」と呼ばれ、近江湖北の花嫁付き添い人を勤める。結婚して2児を儲け、83年に彦根に転居。「第五子」「空、地」等を経て、同人誌「yuhi」を女性4人で結成。解散...
View Article小倉遊亀の読み方とその略歴を知りたい。(滋賀県立図書館)
『滋賀近代文学事典』によりますと、読み方は「おぐら・ゆき」で、略歴は「1895・3・1~2000・7・23。日本画家。滋賀郡大津町大字丸屋町(現大津市中央)生まれ。旧姓溝上。1917年奈良女子高等師範学校卒業。横浜等で教員を勤めつつ画家を志し安田靫彦に師事。26年院展初入選、32年日本美術院会員。35年小林法雲から修養の道を教わる。3年後小倉鉄樹と結婚し鎌倉市に居住。浄福感のある独特の色彩と造形性に...
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