『滋賀近代文学事典』によりますと、読み方は「にしかわ・うせつ」で、略歴は「1874・1・6~1956・6・23。俳人。高島郡(現高島市)新旭町藁園(わらその)生まれ。本名式四郎。京都府立医学校卒業後、1898年高島郡(現高島市)安曇川町南市(みなみいち)で眼科医を開業し「ホトトギス」に投句。「京鹿子」に属して鈴鹿野風呂の指導を受け、1927年から地元の銀杏俳句会を主宰。38年、53年には会の選句集も刊行。湖国の自然と生活を澄んだ感覚で捉える句が多い。安曇川町名誉町民。私家版の句集『郁子(むべ)』(53年1月)がある。(後略)(外村彰)」とあります。
参考資料: 1 滋賀近代文学事典 日本近代文学会関西支部滋賀近代文学事典編集委員会∥編 和泉書院 2008年 S-9000- 08 p.258,
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