『滋賀近代文学事典』によりますと、読み方は「くぼた・ぎょういち」で、略歴は「1929・5・22~。小説家、評論家。高島郡高島町大字勝野(現高島市勝野)生まれる。大溝尋常小学校、県立今津中学校(現高島高等学校を経て、1947年4月国立彦根経済専門学校に入学。この年クリスチャンであった姉が病死し、それが契機となって翌年の12月、日本基督教団大溝教会で受洗。牧師を志すが父に反対され、彦根経済専門学校を卒業した50年4月、東亜合成株式会社に入社。しかし1年足らずで退職し、51年4月滋賀大学経済学部3年に編入学。卒業後の53年4月、三重県立名張高等学校の社会科の教師となるが、この頃より文学への関心が強まり、56年椎名麟三に手紙を書く。椎名の勧めで小谷剛が主宰する「作家」の同人となる。58年4月郷里の母校高島高等学校に転じ、73年4月(昭和48)には安曇川高等学校に移る。この教師時代に「作家」を始め「湖沙」「新文学山河」「滋賀作家」などの文藝芸同人誌に小説、評論を意欲的に発表するとともに、68年1月には教育文化誌「だるま通信」を主宰刊行し、2002年現在で232号を数える。さらに『ある高校教師の歩み』(1976年4月、だるま書房)などの教育論や、『キリスト教と文学』(77年10月、昭森社)、『キリスト教文学の可能性』(79年11月、だるま書房)などの文藝評論を精力的に執筆。80年11月には滋賀県文化奨励賞を、81年5月には真下五一賞を受賞した。(中略)84年9月には、評論「アルベエル・カミュにおける神の問題」で第19回関西文学賞を受賞。87年3月執筆活動に専念するため安曇川高等学校を退職。(中略)三浦綾子との親交は71年に始まるが、2001年3月には、三浦からの私信をもとに文庫『「お陰さまで」三浦綾子さん100通の手紙』を小学館から発行している。(後略)(笠井秋生)」とあります。
参考資料: 1 滋賀近代文学事典 日本近代文学会関西支部滋賀近代文学事典編集委員会∥編 和泉書院 2008年 S-9000- 08 p.128-129,
参考資料:
2 滋賀県人物・人材情報リスト 2011 日外アソシエーツ∥編集 日外アソシエーツ 2011年 LB-2800-11,
参考資料:
3 滋賀県人名鑑 滋賀県人名鑑編集部∥編 サンブライト出版 1982年 S-2800- 82,
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