『滋賀近代文学事典』によりますと、読み方は「にしき・ただかず」で、略歴は「1935・8・15~。国文学者。歌人。栗太(くりた)郡大字野路(のじ)(現草津市野路町)生まれ、大津市在住。1954年草津高等学校を卒業し、滋賀大学学藝学部入学。58年関西大学大学院に進む。高等学校3年の担任は「潮音(ちょうおん)」(太田青丘(せいきゅう)主宰)同人三品千鶴(みしなちず)。その影響で60年同社社友となり、69年退会。78年「創作」(若山牧水創設)に加わる。『源氏物語』を中心とする平安朝文学の研究により85年文学博士。87年より大阪樟蔭(しょういん)女子大学教授。研究書には『源氏物語論考』(84年8月、大学堂書店)、『蜻蛉日記の研究』(90年9月、和泉書店)、『源氏物語花籠』(93年4月、和泉書院)、『王朝文学論考』(2002年9月、和泉書院)等。歌集は『藻刈舟(もかりぶね)』(1997年3月、和泉書院)。(後略)(高橋和幸)」とあります。
参考資料: 1 滋賀近代文学事典 日本近代文学会関西支部滋賀近代文学事典編集委員会∥編 和泉書院 2008年 S-9000- 08 p.259,
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