旧朽木村(現、高島市)の邇々杵(ににぎ)神社の朽木(くつき)祭りの概要を知りたい。
『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「五月十日午後一時から四時まで」で、概要は「本社は近江源氏佐々木氏の祖神を祀るが、祭りの起源は明らかではない。当日は出御の祭礼といって、渡御が行われる。日の丸の御幣・鉦・太鼓・剣鉾・神輿二基・傘鉾が行列する。昔は流鏑馬も行われていたが、現在はない。」とあります。
View Article旧木之本町(現、長浜市)の意冨布良(おほふら)神社・氏子周辺のお塔神事の概要を知りたい。
『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「三月十一日」で、概要は「おこない。氏子は十四の町に分かれており、毎年一町ずつが頭人を選んで神事をつとめる。頭人宅では一斗の御鏡、欅の木にまゆ玉をつけ、これに藁をつける。さらに牡丹・あやめ・百合・菊などの造花をたくさん作り、これらと共に町内を鉦・太鼓で練り歩く。また子供たちにはぜんざいが振るまわれる。」とあります。
View Article旧高月町磯野(現、長浜市)の集落内の太鼓踊りの概要を知りたい。
『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「不定期」で、概要は「頭には、シャグマとよばれる長い鳥の毛のかぶりものをし、手甲・脚絆・ワラジばきで、男の子が踊る。胸の前に小太鼓を抱き、円を描きつつ、中央の二人打ちの大太鼓に合わせる。鉦・女の子の吹く笛の囃子をともない、総勢三十名ぐらいで行われる。昭和六十二年に復活し、町の運動会の際に披露された。」とあります。
View Article旧高月町(現、長浜市)の赤見(あかみ)神社・氏子周辺のおこないの概要を知りたい。
『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「二月十五日」で、概要は「当日、神主は奉仕しないが、前日に頭人宅のカマドを祓い清めてから始められる。頭人は二人おり、各頭人は二斗の大鏡をそれぞれ作って神前に供える。頭人はその年の祭典の神饌物を調達し、準備を行わねばならない。」とあります。
View Article旧湖北町(現、長浜市)の飯開(いびらき)神社のおこないの概要を知りたい。
『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「二月十一日から十二日まで」で、概要は「飯開神社の氏子である延勝寺の戸数は約九十五戸で、東・中・西の三組に分かれて、それぞれが行う。十一日は、えびなわ(大・中・小)を編み、餅を搗く。翌日は早朝から裸参りといい、小学生から高校生までの子供が集まり、棒づきをして騒ぐ。頭屋宅では、じゅうびき(大根の調理)、おかわ合わせ(えびなわ飾り)、くじ取り式へと進む。社参は東組が早...
View Article旧虎姫町唐国(現、長浜市)の稲荷(いなり)神社・当番宅のおこないの概要を知りたい。
『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「初午の日早朝」で、概要は「小松組と一円組の各当家で、毎年初午の日の早朝餅を花車に乗せ、小学生男子がこれを舁いで神社に参る。氏戸の戸主は全員羽織袴で参拝し、祭典後高時川の井元へも参拝する。起し合図はほら貝二個で、村中を歩き廻る。また火打石で清めをして、神事を執り行っている。」とあります。
View Article旧浅井町(現、長浜市)の薬師堂(やくしどう)・蔵王権現堂(ざおうごんげんどう)・頭家・公会堂のおこないの概要を知りたい。
『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「二月八日(薬師堂)・二月十五日(蔵王権現堂)」で、概要は「薬師如来を祀る薬師堂と江戸中期の義民を祀る蔵王権現堂において、ほぼ同じ行事が行われる。当日の三、四日前に頭家にて米かし、前日に御幣切り、座編みをし、高張・大鉦を準備して祭壇を公会堂に設ける。当日には行列を組み頭家より出発、社参する。終わると公会堂で鏡割り・直会ののち玉くじによって新頭人を決める。午後からは...
View Article多賀町の白山(はくさん)神社の三季(さんき)の講(正月の講)の概要を知りたい。
『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「一月三日」で、概要は「正月の講ともいう。早朝から神社に宮守が集まり、装束をつけて行う。「内饗のめし」といい、地域(山の神)に御飯と生鰯を食べさせる。木きめ・木引き(ごぼう引きともいう)においては、境内本社とお池殿の間の山中で、全員で決めた木を引き起こし、本殿前の杉の根方に置く。昔から、『今年は良い根がある』などの話がでる事から、多分その年の豊凶の占いの儀式と思わ...
View Article旧愛東町(現、東近江市)の春日(かすが)神社の鳥食(とりは)み神事の概要を知りたい。
『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「三月二十二日・二十九日」で、概要は「古来から祭典の神饌物は、宵宮の申の刻に末社の屋根に供進した。鳥が飛来して食べれば下げることができたが、思うようにならず、翌日に延期することが多かった。後に検討の結果、即日即刻に下げることに変更され、現在に至っている。なお、二十二日は口明祭および精進屋祭が当人宅で行われ、二十九日に神事が執り行われる。」とあります。
View Articleアジア諸国の労働者の移動の状況を説明する統計、図表など参考になるもの
1. International Organization for Migration刊行の「World Migration Report 2010」(請求記号:G/325.2/W4) (年鑑です。当館所蔵では2010年版が最新になります。) ・"Building capacities for change"の"3. Labour...
View Articleフィリピン製造業全体のGDPにおける製薬業が占める割合の変遷(2000年~2011年)
製造業全体のGDPの変遷はフィリピン統計局が出す"Gross regional domestic product" National Statistical Coordination Board [Manila] : National Statistical Coordination Board...
View Articleフィリピンの製薬産業に関する資料
単行書としましては『アジア医薬品市場の現状 : 中国 ・台湾 ・韓国 ・タイ ・インドネシア ・フィリピン ・シンガポール ・マレーシア ・ベトナム』日本製薬工業協会国際委員会 ・アジア専門委員会 (医薬出版センター , 1999)(請求記号:AA/615.1/A1)と"The Philippine drug industry" Manila : IBON Databank Phils., Inc....
View Article中国の2010年国勢調査の省別統計情報の出版状況
現在アジア経済研究所図書館で所蔵しておりますのは、2010年第六次全国人口普查主要数据 / 国务院第六次全国人口普查办公室, 国家统计局人口和就业统计司编 北京 : 中国统计出版社 , 2011.7 (請求記号:China/1Ir49)で、省別の調査結果の所蔵はございません。...
View Articleナサニエル・ホーソンの小説「緋文字:(原題)The scarlet...
以下に古い刊行のものから順に、判る範囲で今日まで都合14名の訳者によって翻訳されているのが見つかる。また本作品の翻訳の嚆矢は、富永徳磨(蕃江)訳であるとする論文がある。 01.富永 徳磨譯.緋文字.東文館,1903,249p. 02.佐藤 清訳.緋文字.日本基督教興文協会,1917. 佐藤 清訳.緋文字(岩波文庫).岩波書店,1929. 佐藤...
View Article明治時代の高松の午砲について
次の資料に高松の午砲についての記述あり。 (1)高松今昔記 第3巻 荒井とみ三/著 歴史図書社 1979 ※p.238-239「午砲のこと」あり。 この記事の内容は次の通り。...
View Article藤本鉄石について知りたい。
京都大学附属図書館 維新資料画像データベース 藤本 鉄石(ふじもと てつせき) 文化13年3月17日(1816.4.14)-文久3年9月25日(1863.11.6) http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/ishin/jinmei/Fujimoto.html (2012/11/02確認)...
View Article宗国金平についての資料(兵庫区金平町の名前の由来になった人らしい)
『兵庫県人名鑑』P128~ 詳細な履歴あり 『系図かがみ』P12、『兵庫県人物列伝』P282、『兵庫県銘鑑』P172 などに人物についての記述あり 『新神戸の町名』P102~ 金平町の由来あり
View Article橋本海関(橋本関雪の父)が生田区楠町で開いていた私塾についての資料を探している(弟子や講義の様子など)
『明石ゆかりの人びと』P183~188に「明治10年から兵庫師範学校教諭その後神戸中学教諭、この間自宅で漢詩・漢字塾を開いた」とあるがそれ以上の詳細は不明 『播磨学紀要 第10号』(T00-136)「はりま人物誌」P12~ 「橋本海関と関雪」 『橋本関雪』に海関についての記述少しあり
View Article「ごさんちく」と呼んでいる竹について
『植物和漢異名辞林』P144に「ごさんちく ほていちくを見よ」とある。 『原色樹木大図鑑』P724に「ホテイチク(ゴサンチク)」 『竹の博物誌』P119に「布袋竹 異名をゴサンチク(五三竹)、クレタケ(呉竹)~」 『図説草木名彙辞典』P318に「五三竹・鼓山竹」 『竹(ものと人間の文化史)』P128 『日本植物方言集成』P500 などにも記述あり
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