磯崎眠亀の生涯について知りたい(岡山県立図書館)
実業家。 生まれは都宇郡帯江新田村で、現在の倉敷市茶屋町である。生家は小倉織を扱う商人・織元であった。 梯型筬(ていけいおさ)を発明、広組縮織(ひろくみちぢめおり)の技法を考案して緻密なござを織ることに成功し、これを錦莞筵(きんかんえん)と名付けた。 高価だったために国内では売れなかったが、海外で好評を得た錦莞筵は漸次事業化され、最盛期に織機は1000台に達した。...
View Article伊木長門守忠貞の生涯について知りたい(岡山県立図書館)
伊木忠貞は慶長17年(1612年)に姫路で生まれた。元和2年(1616年)、父忠繁の死によりわずか5歳で家督を相続し、元和3年、池田幸隆(後に光政)が姫路から鳥取へ国替になった際には倉吉城を預かった。...
View Article石井十次の生涯について知りたい(岡山県立図書館)
明治期を代表する社会事業家。宮崎県生まれ。 1882年(明治15)郷里での職を辞し、岡山甲種医学校(現岡山大学医学部)に入学し、在学中にキリスト教徒となる。 生活に困っている人の子供を引き取ったことがきっかけで次々に貧児を託され、岡山孤児教育会(岡山市門田屋敷)を創立した(のち岡山孤児院と改名)。 その後各地の災害孤児を引き受け、一時は1200人にも達しその名を全国に広めた。...
View Article寂室元光(岡山県立図書館)
「屋後の青山 檻前[らんぜん]の流水 鶴林[かくりん]の双趺[そうふ] 熊耳[ゆうじ]の隻履[せきり] 又是れ空華[くうげ] 空子を結ぶ」 寂室元光が遷化[せんげ] 当日、死の直前にその境地を記した遺偈 [ゆいげ](永源寺蔵・重要文化財)である。 落款[らっかん]には「九月初一日 亡僧元光」と記す。寂室元光は貞治六年(1367)のこの日、 九月一日に七十八年の生涯をとじた。...
View Articleガントレットの生涯について知りたい(岡山県立図書館)
明治23年(1890)に来日し、岡山第六高等学校、山口高等商業学校、東京商科大学などで英語、ラテン語、速記を教えた。また、語学教育のほかに、パイプオルガンの専門家・演奏家として日本のオルガン界に大きな足跡を残した。 そのほか、岡山ではエスペラント(人工国際語)の普及にもつとめた。また、山口在住時には秋芳洞を学術調査し、海外に紹介した功績者としても知られる。 詳しくは「真金倶楽部 NO.4」へ...
View Article矢野恒太の生涯について知りたい(岡山県立図書館)
実業家。上道郡角山村(現岡山市)に生まれる。 日本生命保険会社に入社して診察医となった後、独力で生命保険理論を研究して相互主義保険を唱道した。この理論が認められて共済生命設立に参加、同社総支配役に就任した。...
View Article松平一族の生涯について知りたい(岡山県立図書館)
元禄10年(1697年)に森家が断絶し、その後、松平宣富が津山へ入部する。宣富は徳川秀忠の兄であ る結城秀康の子松平忠直の長男光長の養子である。つまり結城秀康の嫡孫の養子ということになる。 松平忠直は秀康の長男で、叔父秀忠の娘を室に迎えていたが、将軍家に対して不遜な行動がめだち改 易されて豊後国萩原に配流される。...
View Article坂田一男の生涯について知りたい(岡山県立図書館)
坂田一男、彼は現在では、日本抽象画家の先駆者として高く評価されている。しかし、生前は必ずしも正当な評価をうけていなかった。地位や名誉を求めず、中央画壇から離れ、玉島のアトリエで生涯を終えた。今回は、清貧の画家坂田一男をとりあげ、関係資料を紹介する。...
View Article三浦一族の生涯について知りたい(岡山県立図書館)
三浦家は明和元年(1764年)に、三河国西尾から美作国勝山に転封している。この勝山藩の初代 藩主が三浦明次である。 三浦家は桓武平氏三浦義明の子孫で、室町時代に勝山に高田城を築いた三浦貞宗とは同祖異系で ある。 三浦家は正次の代に大名となり、正次から数えて六代目が明次になる。 三浦正次は、母が幕府の老中となった土井利勝の妹であったことと土井利勝のもとで暮らしてい...
View Article池田利隆の生涯について知りたい(岡山県立図書館)
池田利隆は天正12年(1584)池田輝政の長男として岐阜に生まれた。母は摂津茨木城主中川清秀の娘であるが、利隆を産んだ後、体調が戻らなかったため中川家に帰っている。文禄3年(1594)父輝政は徳川家康の娘である督姫を継室に迎え、忠継、忠雄、輝澄、政綱、輝興をもうけている。...
View Article小早川秀雄の生涯について知りたい(岡山県立図書館)
小早川秀雄の名前はよく知られているとは言いがたいが、岡山県の歴史や地誌を研究する者にとっては忘れられない人物の一人である。 小早川秀雄は享和2年(1802)、足守藩士吉田源五兵衛方行(かたゆき)の二男として生れた。母は古川古松軒の妹の娘で吉田家へ嫁した八重と思われる。...
View Article小早川秀秋の生涯について知りたい(岡山県立図書館)
安土桃山時代の武将で、通称金吾中納言、また、羽柴秀俊。 秀吉の正室・北政所の兄木下家定の子で、秀吉の養子となったが、のち、小早川隆景の養子となる。朝鮮再出兵の際には総大将として軍功を立てた。...
View Article良寛の生涯について知りたい(岡山県立図書館)
(1)良寛の生い立ちとその資料 安政八(1779)年十月頃、一人の僧がその師に従行し、玉島の地にやって来た。当時22歳のこの修行僧は良寛、師は円通寺第十世大忍国仙和尚である。...
View Article板倉勝静の生涯について知りたい(岡山県立図書館)
備中松山藩第7代藩主。桑名藩主松平定永の第8子で、奥州白河城で生まれた。 1842年(天保13)備中松山藩主板倉勝職の養嗣子となり、1849年(嘉永2)襲封した。また、陽明学者山田方谷に出会い、元締役兼吟味役としてその才を用いた。 安政の大獄では、寛典を主張したため大老井伊直弼により奏者番兼寺社奉行を罷免された。...
View Article宮本武蔵の生涯について知りたい(岡山県立図書館)
江戸初期の剣客。 美作国吉野郡宮本村(現英田郡大原町宮本)出身と伝えられる。 幼少から武術に熱心で、武道修行のため諸国を旅し、二刀流を工夫して流祖となった。剣豪として、小倉の厳流島で佐々木小次郎を倒した話は有名である。 また、剣技のほか、水墨画も描き、剣の奥義から発する鋭い気魄のこもった水墨画は独自のものである。 【参考資料(岡山県立図書館所蔵)】...
View Article内田 百間の生涯について知りたい(岡山県立図書館)
小説家、随筆家。本名内田栄造、別号百鬼園。 百間のペンネームは幼い頃に遊んだ百間川にちなんでいる。 岡山市古京町の酒造家の一人息子として生誕した。 1922年(大正11)小説「冥途」を書き、小説家となった。漱石の門下生であったのは有名であり、美食家、無類の酒好きで鉄道ファンでもあった。...
View Article土肥経平の生涯について知りたい(岡山県立図書館)
土肥経平は幼名吉五郎、後に典膳と改めた。富山山人(とみやまさんじん)、宇治郷散人(うじごうさんじん)と号し、家の号には竹裡館(ちくりかん)、緑雲庵(りょくうんあん)などがある。経平は土肥貞平の三男で、母は熊沢蕃山の孫にあたる。...
View Article水谷勝隆の生涯について知りたい(岡山県立図書館)
水谷勝隆は慶長2年(1597年)に水谷勝俊の嗣子として京に生まれた。慶長5年(1600年)の関ヶ原 の戦いの時には勝俊は関東へ下っており、幼い勝隆は石田三成によって人質にされかねない状況にあっ た。それを近衛龍山(前久)にかくまってもらうことによってまぬがれた。龍山は西軍である島津氏の 落ち武者もかくまっており、東軍・西軍に関係なく救済していたのである。...
View Article山崎家盛・家治の生涯について知りたい(岡山県立図書館)
山崎家盛は近江国に生まれた。父山崎片家は織田信長、豊臣秀吉に仕え、天正10年(1582年)の冬、 近江国から摂津三田に移って2万3千石を領有した。 天正19年(1591年)家盛は父片家の遺領を継いだ。文禄元年(1592年)家盛は豊臣秀吉の朝鮮出兵の 際に対馬国に渡り、2年間輸送、警固の任務を果たした。この間に嗣子山崎家治が対馬国で誕生する。...
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