実業家。上道郡角山村(現岡山市)に生まれる。 日本生命保険会社に入社して診察医となった後、独力で生命保険理論を研究して相互主義保険を唱道した。この理論が認められて共済生命設立に参加、同社総支配役に就任した。 のち農務省に出仕、「保険業法」制定の草案委員となり、また同省初代保険課長に就任した。1902年(明治35)わが国最初の相互会社第一生命創立に参画、以後専務取締役、社長、会長を歴任した。この間、東横、目蒲両電鉄社長、第一相互貯蓄銀行頭取、生命保険協会理事などの要職も兼任した。また「日本国勢図会」「国民数表」などを刊行、統計知識の普及、農民教育の刷新などにも尽力した。 【参考資料(岡山県立図書館所蔵)】 「矢野恒太伝」(矢野恒太記念会編、同刊行、昭32) 「矢野恒太一言集」(矢野恒太著、矢野恒太記念会刊、昭57) 「矢野恒太 一業一人伝」(稲宮又吉著、時事通信社、昭37) 「郷土にかがやく人々 5」(日本文教出版刊、昭53)
参考資料:矢野恒太記念会編『矢野恒太伝』, 矢野恒太記念会, 1957
矢野恒太著『矢野恒太一言集』, 矢野恒太記念会, 1982
稲宮又吉著『矢野恒太 一業一人伝』, 時事通信社, 1962
『郷土にかがやく人々』5, 日本文教出版, 1978,
備考:M2004102916492543293
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