江戸初期の剣客。 美作国吉野郡宮本村(現英田郡大原町宮本)出身と伝えられる。 幼少から武術に熱心で、武道修行のため諸国を旅し、二刀流を工夫して流祖となった。剣豪として、小倉の厳流島で佐々木小次郎を倒した話は有名である。 また、剣技のほか、水墨画も描き、剣の奥義から発する鋭い気魄のこもった水墨画は独自のものである。 【参考資料(岡山県立図書館所蔵)】 「剣聖宮本武蔵伝」(大原町教育委員会編・刊、昭31) 「宮本武蔵の研究」(福原浄泉、宮本武蔵顕彰五輪の会、昭53) 「新・宮本武蔵考」(宮本武蔵顕彰会刊、昭52) 「宮本武蔵名品集成」(丸岡宗男著、講談社、昭52)
参考資料:大原町教育委員会編・刊「剣聖宮本武蔵伝」(昭和31年)
福原浄泉「宮本武蔵の研究」(宮本武蔵顕彰五輪の会,昭和53年)
「新・宮本武蔵考」(宮本武蔵顕彰会刊,昭和52年)
丸岡宗男著「宮本武蔵名品集成」(講談社,昭和52年),
備考:M2004102916090643289
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