寂厳の生涯について知りたい(岡山県立図書館)
寂厳は江戸時代中期のころ、仏教の原点に立ち返って、その正しいあり方を追及した悉曇[しったん]学の学者である。 悉曇とは梵語[ぼんご](古代インドのサンスクリット語)のこと。釈迦の教えは弟子たちによって梵語の経典にまとめられ各地へ伝えられたが、わが国に入ったのは 中国で翻訳された漢字による経典で、漢文に翻訳できない語は梵語のまま取り入れられたものであった。...
View Article正阿弥勝義の生涯について知りたい(岡山県立図書館)
正阿弥勝義は、江戸から明治の変革期にありながら、常に自らの作品の完成のみを求めつづけた金工である。 天保3年(1832)に津山の二階町の彫金師、中川勝継の三男として生まれる。幼名は淳蔵。...
View Article業合大枝の生涯について知りたい(岡山県立図書館)
業合大枝は邑久郡邑久町北島字上寺の人で豊原北島神社の祠官(しかん)で国学者・歌人でもあった。豊原北島神社は、藤戸合戦で有名な佐々木盛綱が奉納したと伝えられる色々威大鎧(国指定重要文化財)を所蔵していることでも知られている。...
View Article俊乗房重源の生涯について知りたい(岡山県立図書館)
「本朝高僧伝」(『大日本仏教全書』所収)によると、重源は京都の紀氏の出。真言宗京都醍醐寺に入って出家、のち法然に学んだという。47歳の仁安2年(1167)宋に渡り、翌年帰国。帰国は栄西と一緒であった。岡山の人ではないが、岡山の歴史を語る時欠かせない人物の一人である。...
View Article山田方谷の生涯について知りたい(岡山県立図書館)
幕末の政治家、財政家、教育者ですぐれた漢詩人。 阿賀郡西方村(現高梁市中井町西方)の生まれ。 幼いときから丸川松陰(しょういん)の門下に学び、神童と呼ばれた。江戸や京に遊学したのち高梁に帰り、藩校や私塾で子弟教育にあたった。 板倉勝静が藩主になると大いに重用され、勘定奉行として上下節約、文武・産業の奨励など数々の藩政改革を断行し、巨額の責務で窮乏していた財政を建て直し、大きな業績を残した。...
View Article伊木忠澄の生涯について知りたい(岡山県立図書館)
伊木忠澄は土倉一静の子として文政元年(1818年)に岡山に生まれた。天保4年(1833年)伊木忠正の養子となり伊木家を相続した。伊木家は岡山藩筆頭家老の家である。...
View Article平沼騏一郎の生涯について知りたい(岡山県立図書館)
平沼騏一郎は慶応3年(1867)に津山藩士平沼晋の次男として生まれた。長兄、平沼淑郎は東京大学卒業後、岡山県尋常師範学校教諭、教頭などを経て、早稲田大学学長になっている。...
View Article池田忠雄の生涯について知りたい(岡山県立図書館)
池田忠雄は、慶長7年(1602)10月28日に播磨国姫路に輝政の三男として生まれた。母は徳川家康の二女督姫である。(督姫は以前北条氏直に嫁いでいた。)慶長13年4月18日に徳川秀忠の御前で兄の忠継とともに元服し、松平姓を賜り、秀忠の偏諱(へんき)をもらっている。慶長15年2月23日に淡路国を賜り、6万3千石の領主となる。この時忠雄は9歳であった。兄の忠継が元和元年に亡くなると忠雄に備前国および備中国...
View Article池田 光政(岡山県立図書館)
岡山藩3代目藩主。 姫路藩主池田利隆の嫡子として生まれたが、利隆の死後、転封させられ鳥取藩主となる。1628年天樹院千姫の娘勝子と結婚し、1632年には岡山藩主となった。光政は名君とうたわれ、光政の代に城下の全盛を迎えた。 はじめ、熊沢蕃山を召し抱え、陽明学を信奉した。 備前大洪水の被災者救済を契機に給人の地方知行制、郡方支配制度など全面的な藩政改革を行ない、藩主への権力集中を図った。...
View Article犬養毅の生涯について知りたい(岡山県立図書館)
明治、大正、昭和にわたって活躍した政党政治家。木堂と号す。 現在の岡山市川入で、郷士(大庄屋)の二男として生まれた。 慶応義塾在学中には、報知新聞記者として西南戦争に従軍した。 1882年(明治15)の立憲改進党結成に参加し、東京府会議員をはじめ連続して代議士を務めた。 1898年(明治31)文部大臣となり、1910年(明治43)には、立憲国民党を創立した。...
View Article和気清麻呂の生涯について知りたい(岡山県立図書館)
奈良・平安初期の律令官人。 備前国藤野郡(現和気町)の生まれ。 恵美押勝の乱に功をたて、称徳天皇の信任を得たが、「道鏡事件」で道鏡の陰謀を阻止したため、「別部穢麻呂」と改名され大隅国(現鹿児島)に流された。なお、光仁天皇の即位とともに赦された。...
View Article宇喜多家の生涯について知りたい(岡山県立図書館)
(1)「梟雄」宇喜多直家 一人の人物を振り返るとき、その人物像は時代により大きく異なる。 例えば昭和11年に発行された『岡山市史』第二巻(岡山市編・刊、昭50復刊)を読むと、宇喜多直家は権謀術数にたけ、悪辣なる手段を用いて領国を拡大していった「梟雄」、あるいは「奸雄」といった表現に何度か出会う。 しかし最近ではそういう捉えられ方は少なく、その子秀家とともに岡山城と岡山城下町の生みの親という...
View Article伊木三猿斎の生涯について知りたい(岡山県立図書館)
伊木忠澄は土倉一静の子として文政元年(1818年)に岡山に生まれた。天保4年(1833年)伊木忠正の養子となり伊木家を相続した。伊木家は岡山藩筆頭家老の家である。...
View Article山室軍平の生涯について知りたい(岡山県立図書館)
日本救世軍の創設者。哲多郡則安村(現新見市)の生まれ。 キリスト教に入信し、同志社神学校に入学した。 濃尾大震災の時には石井十次と協力し孤児救済に奔走した。...
View Article正徹の生涯について知りたい(岡山県立図書館)
「藤原定家の再来といわれている 正徹は、矢掛の生んだ中世における大歌人である。」 『矢掛町史』本編(昭57・矢掛町史編纂委員会編)にこのように述べられ、中世文学に大きな足跡を残した 正徹が、郷土の歌人であるということは、案外知られていないことのように思われる。 歌人正徹は、弘和元(1381)年、備中小田の神戸山城で、その二代目の城主小松上総介の子として生まれ、...
View Article児島虎次郎の生涯について知りたい(岡山県立図書館)
一昨年秋、成羽町に美術館が新築された。 安藤忠男氏設計の近代的な建築だが、この美術館の目玉ともいえるコレクションが、町内出身の洋画家、児島虎次郎の絵画である。...
View Article森長継の生涯について知りたい(岡山県立図書館)
森氏は可成の代から織田信長に仕えるようになる。可成は織田信長の命で志賀・宇佐山両城を守るが、 朝倉義景・浅井長政三万余騎が近江国坂本に寄せてきたため可成は討って出て元亀元年(1570年)に討 死している。可成の子可隆も可成に先立って越前国手筒山で討死している。この森家を継いだのは森長 可であった。長可の弟三人が蘭丸、坊丸、力丸であり、その三人は織田信長とともに本能寺の変(1582...
View Article池田由之の生涯について知りたい(岡山県立図書館)
池田由之は天正5年(1577年)に尾張国の犬山に生まれる。父は紀伊守之助(ゆきすけ)である。 父、之助は天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いで池田信輝(之助の父)とともに戦死 する。之助戦死の時に、嫡男由之は8歳であった。池田家の家督は父、之助の弟輝政が相続す ることになる。しかし、由之は本来池田家の嫡流であった。...
View Article八木浄慶の生涯について知りたい(岡山県立図書館)
和気郡八木山村の浄慶は『備前孝子伝』(五巻)の 第一巻の最初に紹介される。 『備前孝子伝』は湯浅新兵衛明善が岡山藩領の孝子や忠臣、義士、貞女などを紹介した著作で、寛政二年(1790)に岡山藩の若殿池田斉政[なりまさ]に献呈され、翌年には求められて幕府の老中首座松平定信と勘定奉行にも献呈されたという。...
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