来住法悦の生涯について知りたい(岡山県立図書館)
森鴎外の短編『高瀬舟』でも知られる京都の高瀬舟は江戸時代のはじめごろ、備前国の川舟が伝えられたものと考えられている。 京都市郊外の大悲閣[だいひかく]に建つ林羅山撰文の記念碑「河道主事嵯峨吉田了以翁碑」には、角倉了以[すみくらりょうい]が慶長十一年(1606)に、丹波国の物資を京都へ運ぶため、大堰川[おおいがわ]に舟運を開いた時、慶長九年に「作州和計河」で見た舟を参考にしたことが記されている。...
View Article杉山岩三郎の生涯について知りたい(岡山県立図書館)
明治期の実業家。岡山県の実業界を指導し〈岡山西郷〉といわれた。 岡山藩士中川亀之進の次男に生まれ、杉山家を嗣いだ。 1867年岡山藩精鋭隊の藩士として上洛、翌年正月備中松山征討に従軍、ついで岡山藩監軍として奥羽函館戦争に参戦した。...
View Article福田英子の生涯について知りたい(岡山県立図書館)
以前、県外の利用者から福田英子の文献及び記念碑の場所を尋ねられたことがある。婦人社会運動の先駆者として、また”東洋のジャンヌ・ダルク”とも称される福田(景山)英子(慶応元:一八六五~昭和二:一九二七年)の記念碑をどうしても一目見たい、とのことであった。...
View Article塚本吉彦の生涯について知りたい(岡山県立図書館)
岡山県総合文化センター(現岡山県立図書館)には、例えば「備中国賀夜郡服部郷図」や古川古松軒自筆の「備中国加夜郡高松城水攻地理図」など「塚本家蔵図書」の印が押された資料が収蔵されている。塚本吉彦の名は岡山の郷土資料に接する者にとっては忘れがたい人物の一人である。...
View Article浮田幸吉の生涯について知りたい(岡山県立図書館)
人力による飛行を日本で初めて試みたのは、備前の表具師幸吉であったといわれる。それは、江戸時代のいくつかの文献で紹介されているが、いずれも噂話を書き留めた程度であり、全てが事実かどうかはわからない。 幸吉は江戸中期の人。備前児島郡八浜(現玉野市八浜)の櫻屋清兵衛の次男として生まれ、後に岡山の紙屋に移って表具を習う。...
View Articleたまかきの生涯について知りたい(岡山県立図書館)
新見市は今年度から「新見庄愛の書状大賞」と銘打った手紙文コンテストを実施した。これは同市が地域活 性化を企図して平成二年度から行っている「ロマンの里づくり事業」の一環で、新見庄の「たまかき」の書状 にちなんで行われたイベントである。 ここで、たまかきについて簡単に紹介しておこう。彼女は、京都の教王護国寺(東寺)領の新見庄の荘官で、...
View Article金重陶陽の生涯について知りたい(岡山県立図書館)
備前焼で初めて重要無形文化財 保持者(人間国宝)に認定された金重陶陽は、明治二十九(1896)年、和気郡伊部村(現備前市伊部)で生まれた。父親の楳陽に陶技を学び、はじめは細工物を制作していたが、...
View Article宇田川家三代の生涯について知りたい(岡山県立図書館)
わが国における本格的な洋学は明和八年(1771)に杉田玄白や前野良沢によって 腑分け(解剖)が行なわれ、安永三年(1774)に、ドイツ人クルムスの「解剖図譜」の オランダ語訳「ターヘル・アナトミア」が重訳され『解体新書』が刊行されて開花したといわれる。 江戸時代後期になると、ヨーロッパの学問(洋学)が積極的に取り入れられるようになった。...
View Article小野竹橋の生涯について知りたい(岡山県立図書館)
近代の岡山を代表する日本画家である小野竹喬は、1889(明治22)年に、小田郡笠岡村(現笠岡市西本町)の商家浜中屋の四男として生まれた。14才の頃長兄の小野竹桃の勧めにより京都に出て、竹内(せいほう)栖鳳に師事した。京都市立絵画専門学校を卒業後は日本画の革新をめざして国画創作協会(国展)を設立、大正の日本画界に一時代を築いた。...
View Article栄西の生涯について知りたい(岡山県立図書館)
鎌倉時代の禅僧で、日本臨済宗の開祖。 備中吉備津宮の神主家賀陽(かや)氏の出。はじめ、比叡山で天台宗を学び、台密葉上流の祖となった。その後、宋に留学し、一旦帰国したが禅への関心を深め、再度入宋した。その時、臨済禅の法脈を伝える印可を得て、帰国後、禅の布教に従事した。 北条政子らの支援により、鎌倉に寿福寺、京都に建仁寺が作られ、臨済禅興隆の基礎がつくられた。...
View Article正宗白鳥の生涯について知りたい(岡山県立図書館)
(1)兄・白鳥の飛翔 小説家・劇作家・評論家として名高い正宗白鳥(1879~1962年)は、和気郡穂浪町(現備前市)で生まれ、明治二十九(1896)年に十七歳で上京するまで、この地で過ごした。以後の中央文壇での活躍は衆目の知るところであるので、今回は白鳥に関する郷土資料室の文献を紹介しつつ、白鳥と郷里との関係に触れていきたい。...
View Article上代淑の生涯について知りたい(岡山県立図書館)
「神と人とに愛されて其生涯を女子教育の為に捧ぐ」。養子である上代晧三によって墓碑に書かれた言葉である。これほど淑の人生を簡潔に表現したものはないだろう。 上代淑は明治4年(1871)に愛媛県松山市で生まれた。父は伊予松山藩士であったが、明治維新後、大阪に出てキリスト教の牧師になったため、家族共々大阪に移った。淑もほどなく洗礼を受け、梅花女学校小学科に入学する。...
View Article浦上玉堂の生涯について知りたい(岡山県立図書館)
玉堂が士籍を捨て、岡山を去ったのは50歳の寛政6年(1894)のことであった。 『池田家履歴略記』(斎藤一興編)は、鴨方藩士浦上兵右衛門が紀一郎(のち春琴)と紀次郎(のち秋琴)の2子を連れて丹後の城崎温泉から出奔する旨の書付を送ってきたこと、その書付が4月21日に到来したことを載せる。『蒹葭(けんか)堂日記』によると、同年4月3日、6日の両日玉堂が2子をつれて木村堂を訪ねている。...
View Article古川古松軒の生涯について知りたい(岡山県立図書館)
「百聞は一見に及ばず」。古松軒の著作にしばしば見える言葉である。古川古松軒は何よりも自らの目で見ることを重んじた実証の人であった。...
View Article木下利玄の生涯について知りたい(岡山県立図書館)
白樺派の歌人。 最後の足守藩主木下利恭の弟利永の二男で、5歳で養嗣子となり木下宗家を継いだ。 学習院を経て1911年(明治44)東京帝国大学国文科を卒業したが、在学中の1910年(明治43)に武者小路実篤や志賀直哉らと「白樺」を発行、散文や短歌を発表した。 1923年(対象12)には反アララギの大合同誌「日光」に加わった。...
View Article黒住宗忠の生涯について知りたい(岡山県立図書館)
江戸時代末期になると、民衆の中から新しい宗教が生れるようになった。岡山県下でも黒住宗忠によって黒住教が、備中国占見村[うらみむら](金光町)の川手文治郎(金光大神)[こんこうだいじん]によって金光教が立教された。 黒住教の立教は幕末期に創設される民衆宗教のなかではもっとも早い文化11年(1814)のことで、奇しくもこの年は金光大神誕生の年にあたった。...
View Article津田永忠の生涯について知りたい(岡山県立図書館)
(1)津田永忠の功績 平成十二(二〇〇〇)年の後楽園築庭三百年記念事業に関する記事が新聞紙上で取り上げられるようになった。 全国でも有名な大名庭園である後楽園の記念行事とともに、その造園関係者とされる津田永忠の業績も今後更に見直されていくことであろう。 ここでまず、熊沢蕃山とともに岡山藩政の確立期に活躍した津田永忠の略歴を記しておく。...
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