人力による飛行を日本で初めて試みたのは、備前の表具師幸吉であったといわれる。それは、江戸時代のいくつかの文献で紹介されているが、いずれも噂話を書き留めた程度であり、全てが事実かどうかはわからない。 幸吉は江戸中期の人。備前児島郡八浜(現玉野市八浜)の櫻屋清兵衛の次男として生まれ、後に岡山の紙屋に移って表具を習う。 幸吉がいつどのようにして飛行に興味を持ったのかは明らかではないが、鳥を観察して飛行理論を組み立てたようである。 その理論は伝承によって若干の相違はあるものの、大体次のようなことである。 「様々な(あるいは一種類の)鳥の羽と胴の重さを計測し、その割合を導き出す。それを自分の体に当てはめて相当する翼を作れば、人間も鳥と同じように空を飛べるはずである」。 自分の体に合う大きな翼を、熟達した表具師の技をもって制作した幸吉は、岡山城以外で一番高い京橋を実験場所に選んだ。しかし、何度目の実験だったのか、飛行に失敗して群集の中に落ちてしまう。まさか空から人が落ちてくるとは夢にも思わない人々は河原から逃げ惑い、のどかな夕涼みの風景が一転大騒ぎになったという。 その騒ぎが元で、幸吉は岡山藩から所払いの刑を受ける。 一度郷里の八浜へ帰るが、間もなく駿府国(静岡県)へ居を移す。そこでは手先の器用さを生かして時計の修繕をしながら、備考斎(びんこうさい)と名乗り、入れ歯師として生計を立てていた、と言われている。優秀な表具師でもあった幸吉は、入れ歯師としての腕前も相当なものだったらしく、付け心地の良い精巧な入れ歯を作る男として知られていた。 静岡の地で名声を得た幸吉だったが、やはり夢は捨てきれず、飛行を試みたとする説がある。亡くなった場所、年は不明である。 生まれ故郷の玉野市は、幸吉の顕彰につとめ、研究会もある。なお、1997年には旧岡山藩主池田家の現当主から幸吉の所払いが許された。 【参考文献】 「鳥人浮田幸吉考」/竹内正虎著(当館複製) 「鳥人表具師・幸吉」/渡辺知水著 「鳥人桜屋幸吉を偲ぶ」/貝原 璋著 「『鳥人幸吉』史料の分析」/北村 章著 「筆のすさび」管茶山著『日本随筆大成』
参考資料:『岡山県総合文化センターニュース』No.423、http://www.libnet.pref.okayama.jp/center_news/news423.pdf 「『鳥人幸吉』史料の分析」/北村 章著 「筆のすさび」管茶山著『日本随筆大成』
竹内正虎著『鳥人浮田幸吉考』, 岡山県立図書館複製, 1994
渡辺知水著『鳥人表具師・幸吉』, 1939
貝原璋著『鳥人桜屋幸吉を偲ぶ』, 1941
北村章著『鳥人幸吉』史料の分析
管茶山著「筆のすさび」『日本随筆大成』,
備考:M2004103016413443316
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