明治期の実業家。岡山県の実業界を指導し〈岡山西郷〉といわれた。 岡山藩士中川亀之進の次男に生まれ、杉山家を嗣いだ。 1867年岡山藩精鋭隊の藩士として上洛、翌年正月備中松山征討に従軍、ついで岡山藩監軍として奥羽函館戦争に参戦した。 廃藩置県後、岡山県典事を経て島根県権参事となったが1872年辞職して帰郷後、1883年に欧米を視察して帰り、翌年第二十二国立銀行取締役、1895年には中国鉄道株式会社専務取締役兼社長となった。また、岡山藩士族授産のため、微力社を設立して児島湾の干拓を手がけた。 ※「杉山 岩三郎」の兄は、「中川 横太郎」 【参考資料(岡山県立図書館所蔵)】 「士裁杉山岩三郎」(渡辺知水・土師清二著、杉山翁遺徳顕彰会、昭50)
参考資料:渡辺知水・土師清二著『士裁杉山岩三郎』,杉山翁遺徳顕彰会,1975,
備考:M2004110209255643340
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