鎌倉時代の禅僧で、日本臨済宗の開祖。 備中吉備津宮の神主家賀陽(かや)氏の出。はじめ、比叡山で天台宗を学び、台密葉上流の祖となった。その後、宋に留学し、一旦帰国したが禅への関心を深め、再度入宋した。その時、臨済禅の法脈を伝える印可を得て、帰国後、禅の布教に従事した。 北条政子らの支援により、鎌倉に寿福寺、京都に建仁寺が作られ、臨済禅興隆の基礎がつくられた。 また、栄西が宋から持ち帰ったことにより「茶」が日本に広まったことは有名である。 【参考資料(岡山県立図書館所蔵)】 「栄西禅師」(木宮泰彦、大5) 「栄西」叢書禅5(国書刊行会、昭52) 「栄西」人物叢書(多賀宗隼、吉川弘文館、昭61) 「中世禅家の思想」日本思想大系16(岩波書店、昭47) 「栄西」日本の禅語録1(古田紹欽、講談社、昭56) 「僧栄西」郷土教育資料代一輯(岡山県教育会編・刊、昭8) 「栄西の生涯」日本人の国際理解シリーズⅣ(水野恭一郎、岡山ユネスコ協会、昭50) 「思想の流れ」(山陽新聞社編・刊、昭52) 「郷土にかがやく人々」Ⅴ(日本文教出版編・刊、昭33)
参考資料:木宮泰彦「栄西禅師」(大正5年)
「栄西」叢書禅5(国書刊行会,昭和52年)
多賀宗隼「栄西」人物叢書(吉川弘文館,昭和61年)
「中世禅家の思想」日本思想大系16(岩波書店,昭和47年)
古田紹欽「栄西」日本の禅語録1(講談社,昭和56年)
岡山県教育会編・刊「僧栄西」郷土教育資料代一輯(昭和8年)
水野恭一郎「栄西の生涯」日本人の国際理解シリーズⅣ(岡山ユネスコ協会,昭和50年)
山陽新聞社編・刊「思想の流れ」(昭和52年)
日本文教出版編・刊「郷土にかがやく人々」Ⅴ(昭和33年),
備考:M2004110214172043368
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