備前焼で初めて重要無形文化財 保持者(人間国宝)に認定された金重陶陽は、明治二十九(1896)年、和気郡伊部村(現備前市伊部)で生まれた。父親の楳陽に陶技を学び、はじめは細工物を制作していたが、 のち桃山備前の研究に取り組み、陶土・窯の構造・窯詰め・焼成法の創意工夫に努めた。こうした幾多の工夫の末、窯変(ヨウヘン)を人為的に作ることに成功し、桃山風備前を現代に甦らせた。また、昭和七年には轆轤(ロクロ)による作陶を開始し、以後は茶陶を中心とする制作を続けた。今回は、今日の備前焼隆盛の基礎を築き、「備前焼中興の祖」と称せられた金重陶陽の文献を紹介する。 まず陶陽自身が執筆したものとして、『日本のやきもの』(昭39・本文:井伏鱒二・金重陶陽、写真:葛西宗誠)がある。この中で陶陽は、「備前焼の伝統と技術」と題して、須恵器時代から明治期までの備前焼の歴史を概観している。また、本文献中に取り上げた古備前の作品解説も担当している。 陶陽の作品集として、『金重陶陽-人と作品-』(昭43・山陽新聞社編)がある。これは、陶陽の一周忌にあたる「陶陽遺作展」の出品物を中心とした写真集である。この中の「土と火の物語」は昭和四十年十月から約二カ月にわたって山陽新聞に掲載されたもので、陶陽の陶芸談が収録されている。巻末には陶陽とその作品に対する解説、略年譜を付している。 『金重陶陽追悼展』(昭45・天満屋)は、天満屋岡山店で開催された展示会の作品集である。この他にも陶陽の作品を紹介する文献は数多く、近代以降の備前焼に触れた資料の中で陶陽の名の出ないものはないと言っても過言ではない。 雑誌では、今年が陶陽の生誕百年であることを受けて、「おかやま同郷」第三十巻 第三~十一号に横山章氏が「陶陽眞随」を寄稿している。陶陽の備前焼に対する姿勢・情熱を、陶陽との交流の中で論じたものである。 陶陽は没年となる昭和四十二年に、岡山県で開催された全国植樹祭に出席のため来岡された 昭和天皇皇后両陛下に対して轆轤実演を披露している。この時の印象をもとに、皇后陛下は次の歌を発表した。この歌を紹介し、結びとしたい。 備 前 焼 孫のごと若きに轆轤まはさせて 土のたくみは鉢つくりなす
参考資料:岡山県総合文化センターニュースNo.380
井伏鱒二・金重陶陽『日本のやきもの』(写真:葛西宗誠,昭和39年)
山陽新聞社編『金重陶陽-人と作品-』(昭和43年),
備考:M2004110211193343354
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