増上寺と明暦の大火との関係を知りたい。(港区立三田図書館)
明暦の大火は1657年。 『増上寺旧境内地区歴史的建造物等調査報告書』p.19に、「増上寺内でも学寮94宇、坊中15院、恭敬院が類焼した」とある。 P.24に「火災とのたたかい・類焼しなかった増上寺御霊屋」の項目がある。...
View Article新橋―横浜間の鉄道を建設する際に、陸地でない場所を埋め立てて石垣を築いたことについて書かれたものはあるか。(港区立三田図書館)
『鉄道考古学事始・新橋停車』p.28に高輪の築堤工事の写真があり、築堤は品川の八ツ山や御殿山を切り崩した土砂で埋め立て、堤の石垣用石材は高輪海岸の石垣や第七台場の石垣などを流用したとある。...
View Article有栖川宮記念公園が、浅野内匠頭の屋敷だったのか知りたい。(港区立三田図書館)
『港区近代沿革図集 麻布・六本木』p.10,32によると、有栖川宮記念公園の場所は、1862年(文久2)の地図では「南部美濃守下屋敷」となっている。 この場所の調査をした『陸奥盛岡藩南部家屋敷跡遺跡発掘調査概要報告書』p.3に「南部家は、明暦2年(1656)、築地に拝領していた中屋敷と、当時の笠間城主浅野長直の下屋敷になっていた本遺跡地とを交換した」とある(『東京市史稿』による)。 『東京市史稿...
View Article猫塚と猫騒動について知りたい。(港区立三田図書館)
猫塚の所在地は、港区三田1-4。 『港区史 上巻』p.406に、原史時代の遺跡として「芝赤羽町(都立三田高校内猫塚-オセンチ山)、円墳、専門家は指摘も確認もしていない」とある。 『港区の文化財 第7集 三田と芝』p.58-60に、猫騒動の概要と共に赤羽小学校内の猫塚の写真がある。 『都心部の遺跡』p.125に、猫塚(オセンチ山)、遺存良好などの記載があり、p.173には地図がある。 『御家騒動...
View Article徳川秀忠が増上寺にまつられた際の資料が見たい。(港区立三田図書館)
徳川家と増上寺の関係については、『増上寺史』p.13-16「家康公と増上寺」に詳しい。 『増上寺旧境内地区歴史的建造物等調査報告書』p.16に、「天正18年(1590)、徳川家康が江戸に入府した折、増上寺は徳川家の菩提所と定められた」とあり、家康が増上寺に帰依した経緯について記載されている。 『大本山増上寺史...
View Article港区にある、被災樹木(戦災によるもの)について書かれた資料を見たい。(港区立三田図書館)
『戦災の跡をたずねて』に、焼かれて炭化した樹木の写真(一部カラー)、住所が載っており、港区のものは以下のとおり。 カラー口絵、p.31-33 赤坂氷川神社の大イチョウ p.40-45 善福寺の逆公孫樹 旧細川邸のシイ 芝東照宮の公孫樹 芝公園内の焼かれたイチョウ 東京プリンスホテルわきのムクの木 『樹』には、以下の木について大きなカラー写真、イラスト地図が載っている。 p.22-25...
View Article増上寺にあった五重塔の絵や写真が見たい。(港区立三田図書館)
『増上寺旧境内地区歴史的建造物等調査報告書』p.18によると、五重塔は寛永9年二代将軍秀忠の死後、造立された。p.24に、1806(文化3)年焼失し、同6年に再建とある。p.74-75に、1828(嘉永元)年に修復されたとある。p.75,121に写真がある。 『東京市史稿 市街篇第34』p.51に、1806(文化3)年焼失し、同6年に再建とある。 『東京市史稿...
View Article徳川慶喜の子で、勝海舟の跡取りになった人物について知りたい。(港区立三田図書館)
『徳川慶喜のすべて』p.260-266に、徳川慶喜系図がある。p.264に、「精(くわし)(明治21年生。勝海舟の養子となる)」と記載がある。 『日本の肖像 第3巻』p.40に、「末っ子(十男)精(くわし)」「勝海舟の養子として伯爵となった 夫人は海舟の孫伊代子(小鹿の長女)」とあり、幼少期の写真が掲載されている。 p.39に、明治30年代撮影の写真も掲載されている。...
View Article港区ゆかりの人物の一人、芸妓「万龍」(まんりゅう)が在籍していた置屋「春本」の、当時と現在の住所を知りたい。(港区立三田図書館)
港区公式ホームページ「港区ゆかりの人物データベース」によると、「美人芸妓として名を馳せた万龍は、赤坂花街の置屋「春本」の養女になった」とある。(参考資料『幕末・明治美人帖』p.157、『図説・明治の群像296』)。 『東京名所図会 赤坂区・麻布区之部』p.39「赤坂田町三丁目」の項に「芸妓屋春本」とある。...
View Article虎ノ門にある「新聞創刊の地」の碑について知りたい。(港区立三田図書館)
『新修港区史』p.489に「虎ノ門には読売新聞創刊の記念碑が建てられているが、洋学者の子安峻(たかし)らが読売新聞を創刊したのは、明治7年11月2日で、その場所は、当時虎門外琴平町1番の旧武家長屋であった」とあり、読売新聞創刊の碑であることがわかる。...
View Article麻布台にあった旧郵政省ビルについて調べている。外観の写真が見たい。(港区立三田図書館)
麻布地区のタウン誌『ザ・AZABUvol.16』p.1に、「日本郵政グループ飯倉ビル 麻布郵便局」の特集記事がある。 建物正面・部分(円柱など)のカラー写真がある。 『郵政百年史』p.567に、関東大震災後、貯金局庁舎が麻布・飯倉に置かれるまでの経緯が載っている。設計監督は大蔵省営繕管財局、昭和6年1月に完成。鉄筋コンクリート造り四階建に地下室が付属、延床面積40,405平方メートルとある。...
View Article東京オリンピックの頃の、東京タワー付近の写真がみたい。(港区立三田図書館)
東京オリンピックは昭和39(1964)年に開催された。 『東京タワー10年のあゆみ』p.90に「外人客は10月に入るとセキを切ったようにどっと東京タワーへ押しかけ」とある。p.91に、「東京タワーの下を通過するオリンピック聖火(10月9日)」の写真がある。 『写された港区』p.106.107に東京タワーの項があり、昭和34年のイルミネーションの写真がある。...
View Article港区に大使館が多いのはなぜか。(港区立三田図書館)
『港区史 上』p.1109-1124にアメリカ、イギリス、フランス、オランダ、ロシア、プロシア、スイスの7カ国が公館を置いたことについて、記載がある。 『江戸の外国公使館』p.125によると、幕末期の外国公使館が港区域の寺院に設置された理由については、下記の3点があげられる。 ①江戸の南端に位置し、海に面して外国人たちの上陸地点に近いこと。...
View Article明治、大正及び現在の新橋周辺の地形図が見たい。(港区立三田図書館)
『新橋東・浜離宮 5000分の1内務省地理局地形図』で、1887(明治20)年の地形図を見ることができる。 『明治大正昭和東京一万分の一地形図集成』には、p.12に1909(明治42)年、p.32に1925(大正14)年、p.64に1937(昭和12)年の新橋周辺の地形図が載っており、変遷がわかる。...
View Article六本木の地名の由来を知りたい。(港区立三田図書館)
六本木の地名の由来には様々な説がある。 『角川日本地名大辞典 東京都』p.761に、松の大木が6本あったことからつけられた、とある。 『港区近代沿革図集 麻布・六本木』p304-306に、以下の説が記載されている。...
View Article板垣退助ゆかりの場所を探している。 「自由党本部」と銅像が芝公園にあったらしいが、詳しい場所を知りたい。(港区立三田図書館)
『港区の文化財 第3集』p.17によると、明治27年(1894)、芝公園5号地10番の天光院境内にあった自由党本部が、5号地2番に移転したとある。「建物はもと海軍水交社のために造った2階造り洋風建築であった」とある。 また、p.97に、板垣退助の銅像が芝公園1号地にあったとある。 『港区近代沿革図集 新橋・愛宕・虎ノ門・芝公園・芝大門・浜松町・海岸』p.73の地図(明治30年)に、「5号地2番...
View Article港区の海岸線の移り変わりがわかる資料が見たい。(港区立三田図書館)
『明暦江戸大絵図』p.7(全図A)、p.8-9(全図B)で、江戸時代は、古川から南は東海道線の位置あたりから海岸線であることが確認できる。(全図ABの詳細図は、p.23浜松町、p.25芝、p.36芝・三田・高輪、p.38品川にある) 『UKIYO-E 名所と版元』p.42-43に、江戸後期に描かれた「浜御殿より品川新宿迄江戸往還道絵巻」(作者未詳)があり海岸線の様子を確認できる。 『概説...
View Article高輪接遇所について知りたい。また泉岳寺との位置関係が分かるような古地図と、その当時の写真を見たい。(港区立三田図書館)
泉岳寺に高輪接遇所が設置された経緯については、『港区史 第3巻』p.346-365「第6章 幕末 第2節 幕末の公使館」に詳しい。 p.348に、イギリスは1858年(安政5)7月18日に日英修好通商条約を締結、とある。...
View Article「紅葉館」跡地に「東京タワー」が建設された理由を知りたい。あわせて当時の写真を見たい。(港区立三田図書館)
『目で見る港区100年』p.176によると、東京タワーは、1958年(昭和33)12月23日、世界一高い総合電波塔として建設された。高さは333メートルで地上150メートルに大展望台があり、1967年(昭和42)には、250メートルの特別展望台が新設された、と記述がある。 『ニッポンの塔...
View Article増上寺にある梵鐘について知りたい。(港区立三田図書館)
『港区指定文化財』p.25に増上寺梵鐘の写真、p.26に鐘銘の記載がある。 『浄土宗大本山 増上寺』p.16に、鐘楼堂と梵鐘についての記述がある。 鐘楼堂は1633年(寛永10)の建立だが、現在のものは戦後に再建されたもの。鐘楼堂におさめられている梵鐘は、あまりの大きさに7回の鋳造を経て1673年(延宝1)に完成した東日本で最大級の大梵鐘、とある。 また、『大本山増上寺史...
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