『新修港区史』p.489に「虎ノ門には読売新聞創刊の記念碑が建てられているが、洋学者の子安峻(たかし)らが読売新聞を創刊したのは、明治7年11月2日で、その場所は、当時虎門外琴平町1番の旧武家長屋であった」とあり、読売新聞創刊の碑であることがわかる。
『港区の今昔』p.236-237に、「読売新聞創刊の碑(千代田区霞ヶ関3-8-1)港区教育委員会建設」「1974年(昭和49)読売新聞の創業100年を記念して建てられた碑」とある。
『歴史散歩みなと』p.62に、カラー写真と「虎ノ門1-2 (千代田区霞ヶ関3-8)(区文化財標示板)」とある。
『港区文化財のしおり』p.13に、「虎ノ門1-2(千代田区霞ヶ関3-8) 文化財標示板(昭和49・1)」とある。カラー写真、付録の地図もある。
『読売新聞百年史』p.103-104に、『記念碑、本社「創刊の地」』の記事と、除幕式の写真がある。記念碑建立の地は、発祥地の北側に接した江戸城外堀跡の国有地が最適ということになった、とある。
『日本全国発祥の地事典』p.155に「新聞創刊の碑」について説明と碑文全文が載っている。
[ヨミダス歴史館]読売新聞1974年12月17日朝刊に、次の記事があった。
『虎の門に「読売創刊の碑」東京・港区が建設』
創刊100周年を迎えた読売新聞の発祥を長く記念するため、東京・虎ノ門に港区や同区教育委員会が中心になって、「読売創刊の碑」が建設されることになった。23日の完工式には、当時の港区長、同区教育長、読売新聞社社長らが出席した、とある。
[港区ゆかりの人物データベース]
「子安峻(こやす・たかし)」の項にプロフィール、「新聞創刊の碑」の写真がある。
(2020年9月更新)
回答プロセス:HP「デジタル港区史」で検索し、記事があった。
『写された港区』には記載なし。
事前調査事項:金比羅社の近くにあるのを見た。
参考資料:新修港区史東京都港区/編港区, (p.489)
参考資料:港区の今昔斎藤 貞雄/著東光社, (p.236-237)
参考資料:歴史散歩みなと令和2年3月港区教育委員会事務局教育推進部図書文化財課/編港区, (p.62)
参考資料:港区文化財のしおり令和2年1月港区教育委員会事務局図書・文化財課文化財係/編港区教育委員会, (p.13)
参考資料:読売新聞百年史[本編]読売新聞100年史編集委員会/編集読売新聞社, (p.103-104)
参考資料:日本全国発祥の地事典日外アソシエーツ株式会社/編集日外アソシエーツ, (p.155)
↧