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勝北町の民話に「かいころぎつね」というのがある(「岡山の民話」 稲田浩二/編 未来社 1976)。どんな動物なのか?(岡山県立図書館)

『岡山県のけもの』 岡山県環境部自然保護課 1975 P27~28より 「カイコギツネ」幻の獣 おそらくイタチかなにかという説明 参考資料:『岡山県のけもの』 岡山県環境部自然保護課 1975 P27~28, 備考:M2004091621050138055

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邑久町にある県指定文化財、熊野比丘尼の資料を見たい。(岡山県立図書館)

「邑久郡史」P443~435、「巫女と仏教史」荻原隆夫著 参考資料:『邑久郡史 下巻』 邑久郡史刊行会 1954 P443~435. 『巫女と仏教史 熊野比丘尼の使命と展開』 萩原竜夫/著 吉川弘文館 1983, 備考:M2004091621050038054

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金山寺の会陽について知りたい。(岡山県立図書館)

『岡山の会陽 岡山文庫』 三浦叶/著 日本文教出版 1985 参考資料:『岡山の会陽 岡山文庫』 三浦叶/著 日本文教出版 1985, 備考:M2004091621045938053

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加茂川町の愛宕神社(竹部)、天神社(竹部)、天満神社(上野)の秋祭りの当番祭(とうばんまつり)のなかで、当番子(とうばんこ)という役割の子どもが祭札に加わ...

「岡山の祭りと行事」(山陽新聞社)や「岡山民俗」をみたが、子供のことを言及したものはない。一般書では「日本民俗大辞典」(吉川弘文館)の頭人のところに頭人子が出ている。頭屋などとあわせて調べるべきであろう。トウヤ、トーヤについては「日本祭祀研究集成第五巻」(名著出版)に坪井洋文氏の論文や報告がある。祭りに子供が関わっていることはわかるが、意味合いまではわからない。「陰陽五行と童児祭祀」(吉野裕子著...

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吉備津神社の宮内踊りに関する資料を知りたい。(岡山県立図書館)

『岡山県文化財事典』 現代創造社 1982 P611. 『吉備津神社 山陽新聞サンブックス』 山陽新聞社 1995 P44. 『岡山市の文化財 第2集』 岡山市教育委員会 1975 P56. 『岡山の祭りと行事 上巻』 山陽新聞社 1982 P215-216. 『岡山の祭と踊 岡山文庫』 神野 力/著 日本文教出版 1964 P70-72. 参考資料:『岡山県文化財事典』 現代創造社 1982...

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田植え歌(大佐・新見の方で唄う)ものがほしい。(岡山県立図書館)

『ふるさとの歌 岡山の民謡』 稲田浩二/共著 日本文教出版 1957 参考資料:『ふるさとの歌 岡山の民謡』 稲田浩二/共著 日本文教出版 1957, 備考:M2004091621045638050

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岡山の花田植の歌の文句を知りたい。(岡山県立図書館)

「哲西史」 P244~253 詳細な訳詩. 「哲西の民謡」 P40~71 一番詳しい 参考資料:『日本民俗大辞典 下』 吉川弘文館 2000. 『哲西史』 哲西史編集委員会 1963 P244~253. 『哲西の民謡』 哲西町教育委員会 1973 P40~71., 備考:M2004091621045538049

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こんがら様とは何か?(岡山県立図書館)

「岡山県大百科事典」“こんがら”より. 神に仕える女性祈祷者。庶民の間に親しまれた巫女。 参考資料:『岡山県大百科事典』 山陽新聞社 1980. 『牛窓町史 民俗編』 牛窓町 1994., 備考:M2004091621045438048

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岡山市祇園である祇園祭について知りたい。(岡山県立図書館)

『岡山県神社誌』”素盞嗚神社(岡山市祇園)”. 祇園祭実行委員会ホームページhttp://www1. harenet. ne. jp/~grp01/iwa/maturi/ 参考資料:『岡山県神社誌』”素盞嗚神社(岡山市祇園)”. 祇園祭実行委員会ホームページhttp://www1. harenet. ne. jp/~grp01/iwa/maturi/, 備考:M2004091621045338047

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熊沢蕃山の生涯について知りたい(岡山県立図書館)

 江戸前期の陽明学者であり、岡山藩番頭をつとめた。  16歳の時から5年間池田光政に仕え、その後、現在の滋賀県で中江藤樹から陽明学を習い、のちに再び光政に仕え、政治的学問的手腕が評価され、三千石の番頭に命ぜられた。  蕃山の治国策は、藩民への儒教の普及から軍事面の充実、治山治水などの農業土木に至るまで、国政全般に及んでいた。...

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小堀遠州の生涯について知りたい(岡山県立図書館)

 小堀遠州といえば、江戸時代前期の武人としてよりも、むしろ芸道に秀でた文化人としての知名度の方が高いようである。 茶道では将軍茶道師範をつとめ、「遠州流」の創始者として名高い。また、後陽成院御所をはじめとして、駿府城・禁裏・二条城・ 仙洞御所など、数々の作事奉行を歴任。県内でも頼久寺庭園をはじめ岡山市東山の東湖園などを手がけており、建築・造園 に優れた...

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箕作秋坪の生涯について知りたい(岡山県立図書館)

嘉永六(1853)年、ペリー提督率いる軍艦の浦賀来航以来、幕府は諸外国による開国要請に対応するために洋学者の知識を求めた。こうした背景のもと、宇田川家と並んで津山洋学の中核を担った箕作家は、藩医として従事するとともに、幕府の外交交渉に奔走した。  今回はこのうち箕作秋坪の略歴及び関係の文献を紹介する。...

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大賀一郎の生涯について知りたい(岡山県立図書館)

 大賀一郎は、1883年(明治16年)賀陽郡庭瀬村大字川入(現在岡山市)に生まれた。  1901年(明治34年)岡山中学校を卒業したが、チフスに罹り進学を断念する。回復後に母校岡山高等小学校で3年生の授業を受け持った。1902年(明治35年)岡山基督教会で宣教師ペギー師により受洗入会する。9月に第一高等学校二部に入学する。内村鑑三宅へ聖書講義を受講しに行くようになるのは高等学校へ入学してからである。...

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西行の生涯について知りたい(岡山県立図書館)

 生涯にわたって花と月を愛し、歌い続けたことで知られる西行は、平安末期の代表的歌人である。俗名は佐藤義清(ノリキヨ)、法名は円位。元永元(1118)年に名門の武士の家に生まれ、鳥羽上皇の北面の武士として出仕していたが、二十三歳の時に出家。以後諸国行脚に日を送り、歌壇の外にいながら、高い尊崇を受けた。...

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河本家のひとびとの生涯について知りたい(岡山県立図書館)

 『備前孝子伝』には合計百五十八人の孝子・忠臣・義士・貞女が収録されているが、このうち第五巻には、岡山城下の「船着町灰屋巣居」(そうきょ)が紹介されている。船着町の灰屋は江戸時代後期の岡山を代表する豪商河本家のことで、特に巣居の孫にあたる 河本立軒は「経誼堂」の創立や宝物の収集かとして知られた。  松平定信が諸国の古宝物を調査させて編集した図録『集古十種』(しゅうこじっしゅ)には、河本又三郎が...

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箕作阮甫の生涯について知りたい(岡山県立図書館)

蘭学者。  津山藩の医師、箕作文庵の二男に生まれ、1810年長兄の死により家督をついだ。  1816~1819年京都の医師竹中文輔のもとで医学を学び帰国した。ついで、1823年藩主のお供で江戸に出た時、同藩の蘭方医宇田川玄真に入門、蘭学を学んだ。  また、坪井信道の蘭学塾日習堂にも入門、1839年蛮社の獄ののち、津山藩医のまま幕府の天文台訳官を命ぜられオランダ書や外交文書の翻訳に従事した。...

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瀧川幸辰の生涯について知りたい(岡山県立図書館)

 法学博士瀧川幸辰は明治24年(1891年)2月24日に岡山市に生まれた。父豊三郎は幸辰が7歳の時に腸チフスで亡くなっている。幸辰の家族は父のたった一人の弟、すなわち叔父に引取られ、幸辰は叔父の許で成長していく。  明治36年(1903年)、兵庫県立神戸中学校へ入学し、家の都合で大阪府立北野中学校へ転入学した。北野中学校では野球部に入り、捕手をしていた。...

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出隆の生涯について知りたい(岡山県立図書館)

 哲学者出隆は明治25年(1892)岡山県苫田郡津山町(現在津山市)で生まれた。父渡部惟明は鶴山高等小学校校長などを務めた教育者であった。次男であった隆は、兄弟が多いために学資不足に悩む実家から父方の叔父出道直の養子になった。津山中学校入学の時である。  養父出道直は小学校校長や真庭郡・久米郡・苫田郡の各郡の視学などを歴任。真庭郡勝山町長にも就任している。...

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金光大神の生涯について知りたい(岡山県立図書館)

宗教家・金光教の教祖  浅口郡占見村(現金光町)の農家に生まれた。  実直で勤勉な人格であったため、家運は向上し、社会的信用も得たが、家族を次々に失うなどの苦難に遭い、自身も42歳のとき大病にかかり生死の境をさまよった。その時に、新たな神と出会い、そこから独自の信仰生活を始めた。...

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阪谷朗廬の生涯について知りたい(岡山県立図書館)

幕末の漢学者・教育者。備中・川上郡九名村(現小田郡美星町)の造り酒屋に生まれた。通称は希八朗、名は素(しろし)、号は朗廬。  幼少の頃、大塩平八郎に学び、ついで江戸で同郷の昌谷精渓の門に入り、のちに古賀とう庵に師事した。26歳のとき、母の病で帰郷、後月郡簗瀬村桜谷(現後月郡芳井町)に桜渓塾を開いた。その後、寺戸村(現井原市西江原町)に創設された興譲館に招かれた。...

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