幕末の政治家、財政家、教育者ですぐれた漢詩人。 阿賀郡西方村(現高梁市中井町西方)の生まれ。 幼いときから丸川松陰(しょういん)の門下に学び、神童と呼ばれた。江戸や京に遊学したのち高梁に帰り、藩校や私塾で子弟教育にあたった。 板倉勝静が藩主になると大いに重用され、勘定奉行として上下節約、文武・産業の奨励など数々の藩政改革を断行し、巨額の責務で窮乏していた財政を建て直し、大きな業績を残した。 明治元年には松山城を無血開城し、主君や領民の安全を守った。 【参考資料(岡山県立図書館所蔵)】 「山田方谷全集」全3冊(山田準編、同刊行会、昭26) 「山田方谷・三島中洲」(山田琢・石川梅次郎著、明徳出版社、昭52) 「哲人山田方谷とその詩」(宮原信著、明徳出版社、昭53) 「魚水実録」上下(国分胤之編、旧高梁藩親睦会、明44) 「備中松山藩の研究」(朝森要著、日本文教出版、昭57増訂) 「塵壺」(安藤英男校注、平凡社、昭49) 「山田家の歴史 附・方谷先生の一生」(田井章夫著・刊、昭61) 「誠は天の道なり」(童門冬二著、講談社、平7) 「炎の陽明学 山田方谷伝」(矢吹邦彦著、明徳出版社、平8) 「財政の巨人 幕末の陽明学者・山田方谷」(林田明大著、三五館、平8) 「ケインズに先駆けた日本人 山田方谷外伝」(矢吹邦彦著、明徳出版社、平10)
参考資料:山田準編「山田方谷全集」全3冊(同刊行会,昭和26年)
山田琢・石川梅次郎著「山田方谷・三島中洲」(明徳出版社,昭和52年)
宮原信著「哲人山田方谷とその詩」(明徳出版社,昭和53年)
国分胤之編「魚水実録」上下(旧高梁藩親睦会,明治44年)
朝森要著「備中松山藩の研究」(日本文教出版,昭和57年増訂)
「塵壺」(安藤英男校注,平凡社,昭和49年)
田井章夫著・刊「山田家の歴史 附・方谷先生の一生」(昭和61年)
童門冬二著「誠は天の道なり」(講談社,平成7年)
矢吹邦彦著「炎の陽明学 山田方谷伝」(明徳出版社,平成8年)
林田明大著「財政の巨人 幕末の陽明学者・山田方谷」(三五館,平成8年)
矢吹邦彦著「ケインズに先駆けた日本人 山田方谷外伝」(明徳出版社,平成10年),
備考:M2004102917273843294
↧