七つのほどこしについての仏教用語の内容について知りたい。 (神戸市立中央図書館)
「無財の七施」 (仏教名言辞典 東京書籍) 眼施、和顔悦色施、言辞施、身施、心施、床座施、房舎施 出典は、インド、大乗経典、『雑宝蔵経』
View Article浄瑠璃で、盗賊の母親が、巡礼おつる、か、おつう、という実の娘と出会うが、名乗らず別れる場面があるが、なんという作品だったか?(神戸市立中央図書館)
浄瑠璃の事典や、百科事典などから、 『傾城阿波の鳴門』 と思われるが。娘の名は「お鶴」
View Article太宰治のハムレットに出てくるオフィリアの台詞「すまいとばし思うて」は、どういう意味か? (神戸市立中央図書館)
『世界文学全集4 シェイクスピア』(永川玲二訳 集英社 1979)「あげないとでも思うの?」など 回答プロセス:太宰治の「新ハムレット」を確認すると、「二 ポローニヤス邸の一室」の中に質問のセリフがあり、つづいて「だつて、坪内さまが、-」とある。 →『ハムレット』(坪内逍遥訳 中央公論社 1933)を確認すると、確かにそのセリフがあり茶化してもいないので、原書や他の訳者のものを対比させて回答。
View Article六大都市の昭和初めの土地の値段(神戸市立中央図書館)
『値段史年表』朝日新聞社 1988 に銀座の地価がある。同じ表が『地価変動論』にもある。 『日本の土地百年』大成出版社 2003 に地価の変動率 (財)日本不動産研究所のHPに昭和11年~市街地価格指数あり
View Article「間竿」は何て読むのか。意味は。(神戸市立中央図書館)
『建築学用語辞典』 岩波書店 1993 「けんざお」 木や竹で作り、粗い目盛りを付けて1間または2間を測るためにものさしとして 用いた竿。土地や大きな材木の計測に用いた。
View Article赤川(あかがわ)鉄橋について(大阪市立中央図書館)
『大阪の橋』(松村博著 松籟社)、『大阪工事局40年史』(日本国有鉄道大阪工事局編 大阪工事局)によりますと、赤川鉄橋は、正式名称を「城東貨物線淀川橋梁」といい、昭和4年に完成しました。橋の長さは、約610メートルです。大阪市東淀川区東淡路1丁目から対岸の都島区大東町3丁目に架かっている橋です。...
View Article「花のことは花に聞け」 は誰の言葉か。世阿弥か。(神戸市立中央図書館)
世阿弥の言葉としては見つからず。 「日本名言名句の辞典」 小学館 に、一遍上人の言葉として 「華(はな)の事は華(はな)に問へ、紫雲の事は紫雲に問へ、一遍は知らず。」
View Article「石高」の数字の、「石」とは、米のみか。あずきとかも含むのか。(神戸市立中央図書館)
『国史大辞典』 「石高制」 近世の土地表示法として、面積による表示と収量による表示とか併用され、 収量(玄米収穫量)に重点がおかれて石高制ができた。
View Article定信は、書画、茶道など芸術分野にも秀でていたそうで、 楽翁、花月、風月などいくつかの雅号を名乗っております。 いつ、それらの雅号を使用していたのか、...
残念ながらいつどのような雅号を使ったかというのはわかりませんでした。 「国書総目録」や「楽翁公伝」にも松平定信の著作が掲載されており、調査いたしましたが、雅号が掲載されているものは少なく、当館所蔵のもので雅号が載っていたものを下に書いています。松平定信関係資料を所蔵する桑名市博物館にも問い合わせてみましたが、わからないということでした。 1.『日本書画落款大事典...
View Article平清盛死後から平家滅亡まで書かれた平氏政権の実態をとらえた本や資料などはありませんか。(大阪府立中央図書館)
「平家滅亡」の時期について、『国史大辞典』(吉川弘文館)の「平氏」の項には、 「…(中略)一族の主流も壇ノ浦で安徳天皇とともに海没、あるいは捕えられたのち斬られた。この間、主流と別行動をとった分派、脱落分子も滅び、わずかに清盛の弟頼盛の一流のみが廟堂に残留した。元久元年(1204)伊勢国で平氏残党が蜂起するが、鎮圧された。」 とあり、同じく『国史大辞典...
View Article「中尊寺供養願文」が見たい。(大阪府立中央図書館)
1.『平泉町史 史料編 1』(平泉町史編纂委員会/編集 平泉町 1985) p.59「中尊寺落慶供養願文」題箋に「中尊寺供養願文」とある。 2.『日本史史料 2 中世』(歴史学研究会/編 岩波書店 1998.3) p.80「中尊寺経蔵文書」 1.と同じ文書。 (回答プロセス)...
View Article『大日本史料』で後円融天皇 康暦2年の頃が見たい。(大阪府立中央図書館)
『日本史年表』(歴史学研究会/編 岩波書店 2001.12) p.118によると、後円融天皇 康暦2年は1379年、南朝 天授6年にあたる。 『大日本史料 第6編之47 長慶天皇』 東京大学史料編纂所/編纂 東京大学史料編纂所 2008.3 は天授2年、永和2年までしか書かれていない。 次は『大日本史料 第7編之1 後小松天皇』 (東京帝国大学文学部史料編纂掛/編纂 東京帝国大学文学部史料編纂掛...
View Article