残念ながらいつどのような雅号を使ったかというのはわかりませんでした。
「国書総目録」や「楽翁公伝」にも松平定信の著作が掲載されており、調査いたしましたが、雅号が掲載されているものは少なく、当館所蔵のもので雅号が載っていたものを下に書いています。松平定信関係資料を所蔵する桑名市博物館にも問い合わせてみましたが、わからないということでした。
1.『日本書画落款大事典 下巻』<728.7/13N>p.552-553によりますと
別名:〔旧姓〕田安 〔幼名〕賢丸〔名〕定信〔通称〕上総介、白河楽翁、黄昏少将、黄昏侍従〔号・筆名〕旭峰、花月、風月、楽翁、花月翁〔落款〕源定信印、源氏貞卿幕、府世臣、楽翁、羽林次将、旭峰と書かれています。
2.『国書人名辞典第四巻 はーわ』<281/170N/4>p.398の「松平定信」の項目を見ますと、〔名号〕初め田安氏。名、定信。幼名賢丸。字、貞卿。通商、たそがれ少将・夕顔少将。号、旭峰・楽翁・風月翁・花月翁。法号、守国院崇蓮社天誉保徳楽翁となっています。
3.『楽翁公伝』<352/3067>p.408に「公は四十五歳の頃、早く既に楽翁の号を用ひられたりしなり。即ち『心雙紙』の序に、自ら『享和二年三月楽翁しるす』と認められてることによりて明らかなり。されど専らこの号を用ひられたるは致仕以後の事なりとす。」とあります。
4.当館で所蔵の『日本随筆大成7 心の双紙』<914/1>p.283の「心の双紙序」には「享和二年3月 楽翁」となっていますが、最後の頁p.296には「水月庵」となっています。「楽翁公伝」<352/3067>p.404に「公は『日本外史』を読み畢りて、その読後感ともいふべき一文を作り、右の山陽の書と合わせて一巻となし置かれたり..」とあり、頼山陽の「日本外史」に松平定信が感想を題辞として載せている。その文の最後に「文政十一年正月廿あまり五日 風月翁」と書かれています。
5.『天理図書館稀書目録 和漢書之部 5』<026/37N>p.329に「女房三十六歌仙 写 文化十五(1818)松平楽翁(松平定信)筆 一冊 外題左肩「六十一卷之一」 奥書 「文化十五年戌寅正月/印「楽」六十一翁書(印)」とあります。p.147に「花月日記 文政九年写 [松平定信]著 文政九(1826)自筆 一冊 草稿本 帙題簽森銑三筆「花月日記 白河楽翁公自筆文政九年成(マヽ)原本」印記「月明荘」と書かれています。
6.国立国会図書館の古典籍資料(貴重書等)をインターネットで検索しますと、9点のデジタル資料が出てきます。これについてはご自身でご覧下さい。アドレスを記しています。
7.『日本学術資料総目録1988年 美術工芸』<027/1>によりますと松平定信関係資料は桑名市博物館、伊達市開拓記念館、名古屋市蓬左文庫などが所蔵しています。
参考資料:『日本書画落款大事典 下巻』(日本書画落款大事典刊行会/編遊子館2007.5)(ページ:552-553),
参考資料:『日本随筆大成1期7心の双紙』(日本随筆大成編輯部/編吉川弘文館1975)(ページ:283),
参考資料:『天理図書館貴書目録 和漢書之部 5』(天理大学附属天理図書館/編輯天理大学出版部2010.10)(ページ:147,329),
参考資料:『日本学術資料総目録1988年度 美術工芸篇』(朝日出版社1988.4),
参考資料:『国書人名辞典第四巻 はーわ』(市古貞次/[ほか]編岩波書店1998.11)(ページ:398),
参考資料:国会図書館デジタル化資料(2012/2/16現在), (ホームページ:http://dl.ndl.go.jp/search/searchResult?searchWord=%E6%9D%BE%E5%B9%B3%E5%AE%9A%E4%BF%A1)
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