『滋賀の百祭 [正]』によりますと、祭礼日は「2月4日~9日」で、概要は「(前略)昭和五十六年以来、字(あざ)を四等分して、わずか三十軒たらずがそれぞれ独立して行うようになり、字をあげての統一のおこないは五年に一度の祭事として行われるようになった。おこないは、二月四日より負い縄作りから始まる。二月七日、集会場前に天幕が用意されて餅つきをし、大鏡餅三個が集会場二階の床間に飾られる。また、三本の欅(けやき)の枝に餅玉(当地では、ばい玉という)や色紙がつけられ、集会場二階の天井に這うように飾られる。九日、メインのおこないの日には、集会場二階広場の床間に負い縄三個、鏡餅三個が飾られ、その前に三方にのせられた御神酒、大鯉、鶏卵、果物、野菜、菓子などが準備される。十二時になると字の青年たちが紋付姿で参上し、酒宴が始まる。なかでも上座の餅担ぎの三名は、顔に厚化粧(一人は石地蔵、二人はヒゲ武者)をしている。午後一時になると、いよいよ宮参りの準備。鳥居前の道に行列を作る。負い縄の餅三人が先頭で、次いで神に供える三方を持った紋付姿の青年十数名、ばい玉のついた欅三本をそれぞれ二人の青年が担ぐ、つごう六人、昨年生まれた女子三人が母親に背負われ、次いで村人、とつづく。三人の負い縄の青年は神の使いといわれ、この日ばかりは三人に逆らえない。ブラリブラリと村中をまわり、愛想をふりまきながら各家で御神酒をいただき、祭りのムードを盛り上げるが、なかなか鳥居を潜らない。やがて三時になると行列は動き出し、走落神社、意富布良(いふら)神社、観音堂と三つに分かれ、鏡餅、ばい玉が供えられて、おこないの行事はすべて終わる」とあります。
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