『滋賀の百祭 [正]』によりますと、祭礼日は「2月9日・10・11日」で、概要は「(前略)この集落は六十戸あって毎年二戸ずつが神事に特別参与し、三十年に一度、番が当たることになる。本年のおこないを務める当家(とうや)を上(あげ)当家、来年務める当家を受(うけ)当家という。各当家では、二月九日、餅米六升、米二升、つごう八升を仕込み、十日朝十時から若衆により餅つきが行われる。昔は、これに先立ち、寒風の吹く集福寺川で身を浄めたという。餅が出来上がると床に飾られる。この餅は大能(おとう)といわれ、青年たちによって一夜、一杯を飲みながら守りされる。また、牛王の木(ゴーの木)と花餅も両家で作られる。祭りは、十一日午前九時を過ぎると行列に参加する人々が集まってくる。十時になると遠い当家より出発。途中、両当家の人々が会ったところでともに神社に向かい、雪道を進む。行列は身上(みかど)三名で、五歳前後の女の子が派手な着物を着て、頭には掛け帽子をかぶり、肩にはミアゲ襷(だすき)をする。この子供達の後には、母親がつく。これを台持と呼ぶ。母親の和服の色は原色で、雪に映えて美しい。餅負は羽織姿で背にこもを垂らし、大能を背負って行列の後に続く。神社につくと式典があり、一同に御神酒が振舞われ、式は終わる。当家に戻ると大能が切られ、ゴーの木とともに各家に配られておこないは終わる。なお、この餅を食べると瘧(おこり)がないと言い伝えられている。」とあります。
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