『滋賀の百祭 [正]』によりますと、祭礼日は「8月15日」で、概要は「(前略)徳源院に祀られた佐々木京極家代々の菩提を弔う行事として伝承されてきたといわれている。昔は十四日が迎え松明、十五日が送り松明として二日間、松明行事が行われたが、昭和四十六年より八月十五日のみ行われるようになった。火祭りの準備は松明をしばる縄縫いから始まる。二月十一日、老人会の人々によって作られている。太さは十二センチから十五センチ、長さは十五メートル。また、その他、太さ三センチほどのロープも作られる。八月十五日、行事当日、徳源院大門広場で太竹三十本ほどで直径一メートル、長さ三メートルほどの松明を作り、清滝山に担ぎ上げる。夕暮れ近くになると村人たちは二メートルほどの松明を持って墓にお参りする。子供たちは墓の各所で花火を打ち上げる。墓地の斜面は松明と花火の煙で煙海となる。この行事のメインは青年たちに担がれた松明が墓横の山道を下る松明火祭りで、夜九時近くになると点火された松明が上半身裸の青年三十人に担がれ、下ろされる。青年たちは、六百キロ近くある松明の重量と?で汗だく。全身に火の粉を浴び、松明行事はクライマックスに達する。二回、墓地横の坂道を上下した後、中央で縄は切られ、松明は焼香場に照らされ、?は天に向かって燃え上がる。精霊は、この?にのって幽界に帰るといわれている。また、この?がよく燃えると、その年は豊作だともいわれている。やがて僧侶の読経が始まり、村人たちの合掌がすむと火の祭典はすべて終わる。村人たちは、下の広場で行われる盆おどり会場に向かって下山する。」とあります。
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