『滋賀の百祭 [正]』によりますと、祭礼日は広峯神社が「8月16日」、乎弥神社が「8月20日」で、概要は「(前略)広峯神社の太鼓踊りの起源は詳らかでない。太鼓踊りは通例、雨乞いが多いが、この中河内の太鼓踊りは神事に関係しているといわれている。踊りは太鼓打ち二人、鉦(かね)打ち二人が主役で、踊り手は白手拭いの鉢巻に袖なしのチャンチャンコを着、股引(ももひき)、草鞋(わらじ)の姿で、背には高さ二メートルもある竹に金、銀、赤、青、黄、色とりどりの短冊を無数につけ、歌と笛にあわせて踊る。夕方、西山に日が沈む頃、南北より人々は集まり、お祓いの後、境内で鉦にあわせて踊り始める。のち、北の御旅所へ行き、再び境内に戻り、豊年踊りが夜を徹して行われる。また、乎弥(おみ)神社(下余呉)に伝わる太鼓踊りも、江戸時代に雨乞いの踊りとして始まったといわれているが、当地方には浄土真宗の熱心な信者が多く、京都の東本願寺再建の際、北陸より資材を京都に運んだとき、資材運搬の奉仕の人寄せと慰安のために、この太鼓踊りが行われたといわれてる。乎弥神社の太鼓踊りは戦中、戦後、しばらく途絶えていたが、昭和四十八年以来、毎年八月二十日に神社のご祭神乎弥知人命(おみしりびとのみこと)に奉納されるようになり、祭り当日には境内の広場で、笛や歌にあわせ、一メートル余の鏡太鼓を中心に六人の子供たちが鳥の羽で作った、黒のジャグマにカルサン姿で小太鼓を鳴らしまわり、祭りを盛り上げている。」とあります。
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