運動場について記載のある次の資料を調査しました。
おたずねは「コート」「トラック」とありますので、陸上競技場だけでなく、他のスポーツ用のコートもあればと探しましたが、あまり記載がなく、陸上競技用トラックが中心になりました。
写真も見つかりましたが、小さなもので、全景が写っているものは少ないです。
◆<中之島公園運動場>
『なにわのミニスポーツ史』(白銀茂夫/著 丸善株式会社大阪出版サービスセンター 2003)
p.115 市体育奨励会事業の一つで中之島運動場が、剣先埋立地に大正4年11月に大阪市によって開場。中之島公園の敷地内に約7500坪の用地を確保し、一般・少年・青年・幼児・婦人運動場の5つに区別され、運動場、バレーボールコート、テニスコート、相撲場、運動器具、遊具等が設置された本格的な運動施設だった。(要約)
p.153 旧難波橋の西側にトラックの部分が写った中之島剣先の写真あり。(大正2年以前と思われる)
『七十年史』(大阪陸上競技協会 平成4年)
p.19 中之島公園は明治24年につくられ、その時に今の剣先公園の所に簡易な運動広場が作られたが大正5年に神戸YMCAのF・H・ブラウン氏により陸上競技場用の正式なトラックが建設された。公営としての陸上競技場は、全国で最初であった。
『大阪市大観』大正14年
1.公館区 市庁舎を中心とした中之島付近の写真。公会堂の前あたりから、植木で区切られた公園、テニスをしていると思われる人。
『大阪YMCA100年史』(滝口敏行/編著 大阪キリスト教青年会 昭和57年)
p.17 中之島公園バレーコートの写真一部分 大正5年
『北区地図』大阪市区分地図 (和楽路屋 1936)
1:8000『明治前期昭和前期大阪都市地図』と同じ形。
『最新の北区』(夕刊大阪新聞) 〔1936〕
1:8000『明治前期昭和前期大阪都市地図』と同じ形。
『最新地番入大阪市地図』昭和26年版 (和楽路屋)
p.19 縮尺1:5000 トラックの形はっきり記載。
『大阪の空を飛ぶ』(大阪市広聴課) 昭和34年
p.14 中ノ島公園 剣先部分のはっきりした写真 トラックのような輪郭はわかるが、内側は広場のような感じになっている。
『大阪市公園配置図』昭和41年3月現在
1:20000 トラックの外側の輪郭あり。
『飛んで翔んで大阪 航空写真集』(大阪新聞社 1991)
p.23 土の地面のみで、トラックの輪郭なし。1990.10.10撮影。
中之島公園運動場について、地図にはトラックの形が記載されていても、航空写真でみると、広場のようにみえたりしますので、変遷がはっきりわかりませんでした。
◆<大阪市立運動場>
大阪市営西区運動場は、以下大阪市立運動場として、書きます。
『新修大阪市史』第6巻 (新修大阪市史編纂委員会 大阪市 1994)
p.865 第6回極東体育競技大会
大阪では経験のない国際的大行事に備えて、11年6月池上四郎市長を会長とする大阪体育協会を結成した。また会場として西区八幡屋町(現港区)に市立運動場が建設された。200メートルの直線コース、一周400メートルのトラックを中心にプール、野球場、庭球場などを備え、延べ38000平方メートルで、完成当時東洋一と称された。
『七十年史』 (大阪陸上競技協会 平成4年)
p.8 新設された大阪市立運動場 陸上競技場のほぼ全景の写真あり。大正12年3月
『日本陸上競技連盟七十年史』(日本陸上競技連盟七十年史編集委員会/編 日本陸上競技連盟 1995)
p.368 昭和36年に閉鎖され、現在跡地には見本市会館が建っている。
『大阪百年史』(大阪府/編集 大阪府 1968)
p.1155
200メートル(幅10メートル)の直線コース、一周400メートル(幅8メートル)のトラック、それに囲まれたフィールドをもち、南側正面には、座席7000余のコンクリート造り無蓋スタンドにかこまれ、西南隅には50メートル(幅16メートル)のプールが設けられ、これには木造スタンドが設置されていた。
『港区誌』(大阪市港区役所 大阪市港区創設三十周年記念事業委員会 1956)
p.256
本競技場(アンツーカ仕上)直線100米 一周400米 巾員(8コース)10米
サブトラック(クレイ仕上)直線100米 一周250米 巾員 8米
『最新港区地図 地番入 大阪市区分地図』(和楽路屋 1936)
市立運動場として、トラックの輪郭のみ記載されている。
『極東選手権競技大会記念写真帖 第6回』(時事新聞社/編 十字館 1923)
競技場の写真あり。
『極東体育協会(第六回)選手権競技大会記念写真帖』(大阪体育協会/編 大阪体育協会 1923)
入場式、競技中の写真あり。
『第六回極東選手権競技大会記念』(第六回極東選手権競技大会協賛会 〔1923〕)
競技場の絵葉書
『第六回極東選手権競技大会記念絵葉書』(大阪体育協会 〔1923〕)
◆<中モズ総合運動場>
『南海沿線百年史』(南海電気鉄道 昭和60年)
p.194-195
南海電鉄創立50周年を記念して行われた建設事業の一つで、昭和12年完成。野球場、テニスコート、陸上競技場、サッカー場、ラグビー場、相撲場など本格的な施設を誇ったが、昭和16年太平洋戦争で中断、20~21年進駐軍に接収され、22年に再開。この地域のベッドタウン化にあわせて、陸上競技場は、住宅団地に変わり、球技場は32年に9ホールのミニゴルフコースと打ちっ放し場へと変身した。のちに、グリーンパークとして貸しグラウンド、ゴルフのミニコースなどレジャーの多様化にも合わせたが、53年にはこれも姿を消した。
『最近の10年 南海80周年記念』(南海電気鉄道株式会社/編集 南海電気鉄道 1965)
p.63 中モズゴルフ打放場の写真 昭和37年7月15日 ゴルフ場拡充・改造、ナイター打放場完成
『七十年史』(大阪陸上競技協会 平成4年)
p.20 南海・中モズ競技場 昭和16年6月建設。全景写真あり。
わが国最初のアンツーカ競技場として建設され、昭和20年8月以降の戦後は、しばらくの間、ここだけが公認競技場。昭和35年閉鎖。
『日本陸上競技連盟七十年史 』(日本陸上競技連盟七十年史編集委員会/編 日本陸上競技連盟 1995)
p.368 昭和37年末に閉鎖され、現在は住宅地になっている。
『堺市精図 北部』京阪神地区全都市地図シリーズ 昭文社 〔1964〕
百舌鳥綜合運動場 トラックの輪郭のみ記載。
『大阪府南部市町別地図集』 堺市北東部 昭文社 1963
百舌鳥総合運動場 トラックの輪郭のみ記載。
事前調査事項:
・『明治前期・昭和前期大阪都市地図』( 清水靖夫/編 柏書房 1995.6)
p.87
中之島運動公園配置図(昭和6年当時の配置図)
・『大阪市パノラマ地図』(ワラヂヤ出版[1991])*大正13年刊の復刻
参考資料:国土変遷アーカイブ空中写真閲覧システム(国土地理院)(2013/01/31現在), (ホームページ:http://archive.gsi.go.jp/airphoto/)
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