丹南藩の領地は飛び地領も多く、現在の行政区域で考えると、藩庁が置かれた松原市や、南河内郡美原町(現在は堺市美原区)を中心に、羽曳野市・藤井寺市・八尾市・堺市・大阪狭山市にまで広がっていた。(河内国丹南郡14ケ村、丹北郡6ケ村、志紀郡2ケ村の計22ケ村)そこで、これら地域の市史等を確認したが、引用文献は刊行された幕府関係の史料か村方文書で、丹南藩の藩政史料は引用されていなかった。
下記資料に、明和9年(1771)の丹南藩分限帳の翻刻が掲載されている資料があったが、これ以外は見つからなかった。
・『堺市史 続編 第4巻』(小葉田淳編集 堺市役所 1973)
p74-78 六「明和九年八月 丹南藩分限席順帳」(井上正夫文書)
明和9年(1771) 第8代藩主・高木主水正正弼の頃のもの。(席次、家禄高、職務、氏名記載)
※当文書の所有者の井上氏は、丹南藩領・北野田村(現在の堺市東区北野田)の苗字帯刀御免の庄屋・井上氏。
◆その他
・『城と陣屋シリーズ167 河内丹南陣屋-丹南藩について-(上田一)』(日本古城友の会 1985)
p30 七、藩士と藩校 <丹南藩士>「丹南藩の家臣に付いては詳細には不知であるが、殆ど全員に近い藩士が丹南に帰って来た明治初年頃の記録では、丹南藩士は家老以下百三十九名(藩士のみ、他説では藩士百二十八名・卒属百二十四名)であり、その知行総高は、千七百二十八石とあるから、一人当りの平均知行高は十二石四斗三升となる。(後略)」とあるが、参照した史料については触れておらず、出典は不明。
・『藩史大事典 第5巻 近畿編』(木村礎[ほか]編 雄山閣出版 1989.4)
丹南藩(福島雅蔵著)のp262「藩の基本史料・基本文献」には、
「藩史史料は現在までのところ、皆無といってよい。在地の村方史料からもほとんどうかがうにたる史料はみあたらない。『寛政重修諸家譜』などの刊本や地域に残る史料等から、断片的に探究するよりほかはない。」
と書かれている。
ほかにも上記市の市史紀要等の関連資料、国立公文書館、東京大学等各所の古文書データベース、丹南藩関連の市や丹南藩について調べている方のホームページ等を確認したが、あまり状況は変わっていないようで、藩政関係の史料のありかは確認できなかった。また、丹南藩士の家に伝わる文書と思しきものも見つからなかった。
参考資料:堺市史 続編 第4巻(ページ:74-78),
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